照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

一人の時間を豊かに生きるには〜歳を重ねるほどに精神の自立が大事

仕事を離れて1年。辞めた後、時間をもてあますのではないかと危惧していたのだが、それはなかった。老後は、幾つか趣味を持って、人との繋がりも増やしましょう的なアドバイスが載った本を見かけるたび、自分の考えとはちょっと違うなと感じていた。

私はむしろ、人との関係を見直したいと思っていた。そして、どんどん自分を狭めていると感じるほどに、あえて人との距離を取るようにしてきた。といっても、元々が友人・知人が少ないので、改めて宣言するほどのことでもないが。

止めようかどうか迷いながら続けていた年賀状も、来年からはきっぱり止める決心がついた。今年は、昨年父が亡くなったので年賀欠礼の挨拶状を出したため、連絡しなかった方から数枚頂いただけであった。

だが、年賀状がなくても別にどうってこともないなと感じた。どのみち、昨年までの数年、正月は日本に居なかった。もし、正月に自宅で過ごしていたら、やはり年賀状が来ないのは寂しいのかなと思って止める踏ん切りがつかなかったのだが、これでようやく決まった。

人は、一人では生きられないとはよく言われる。殊に、大災害が起こるたび、隣近所をはじめ、日頃さほど付き合いのなかった人の親切が身にしみたというような報道はよくなされた。実際、その通りだと思う。そして、そのたびに絆という言葉がクローズアップされる。でも、しばしば繰り返されるその言葉が、どうにもしっくりこないでいた。

「絆」とことさら声を高くしなくても、いつでも、誰に対しても、自分ができる範囲での手助けは惜しまずにしたいと思っている。自分がしたい親切ではなく、相手が本当に必要としていることを見極め、手を差し伸べる。その手が不要になったら、そっと離れるだけ。もし自分が逆の立場になったら、必要な分だけ、有り難くその手を受ける。

私には、できることならそのように困った時だけ手を差し伸べ合う関係が理想で、普段は極々あっさりがいい。絆となると重すぎて、適度な距離間が保てなくなる気がしてしまう。心理的距離が近すぎると、自分目線だけからの愚痴や僻みが溢れ出しかねない。そんな甘えを、自分に許したくはない。甘えたくなったら、自分で自分を甘やかしてやればいい。

だから私は、人との関係に距離を置きたい。歳を重ねれば重ねるほど、精神の自立を大切にしたい。趣味や友人を増やしましょうというのは、暇つぶしの時間や相手を見つけましょうに他ならない。だから、それら推奨の逆をいくように、豊かにある時間を使って、自分一人で自分の世界を広げたい。

おかげで今、私は自由に心楽しく生きている。多分これから先も、ただ時間を埋める人生とは無縁でいられると思う。そして、精神の自立のためには身体の健康が大事と、日々せっせと歩いている。