照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

あらら商事の弥次喜多コンビは何処へ行く?

なにやら考え込んでいるイガグリさんに、救いの手を差し伸べようと親切なマルシマさんがやってきた。その案に乗るか、はたまた藁を掴む方を選ぶか、余計な悩みが増えてしまったイガグリさんである。

「プレゼンの強い味方」
http://awawasyoji.hatenadiary.jp/entry/2014/10/20/042146


ハラハラ部長とガリタ君の最強コンビは、現代版弥次喜多か。
でもね。何事も事前の再チェックは大事でしょう。

「あらら商事 国内出張編」
http://awawasyoji.hatenadiary.jp/entry/2014/10/21/034745

まったくハラハラ部長には、毎度毎度ハラハラさせられた。もちろん、衝突したこともしばしばであった。一方ガリタ君のユニークさもなかなかのもので、今後も何回か登場して頂くことになっている。削除した話もいっぱいあるが、何といっても一番のネタ提供者だ。

イガグリ家に掛かってきた電話はオレオレ詐欺か?でもね・・。

ちょっとちょっとイガグリさん!相手と同じ土俵にのってどうする。短期は損気って言うでしょう。ピザ屋さんだって大迷惑だよ。

にも関わらず翌朝会社で、皆に、この番号に掛けてみてくれると頼むなんて。よほど悔しかったのだろうけど、今度はお寿司が沢山届いたらどうするの。


「イガグリ家の大事件」
http://awawasyoji.hatenadiary.jp/entry/2014/10/19/050547


せっかく買いに行ったのに・・・トホホな結果になってしまって残念。博学でホノボノとした雰囲気の北海さんのささやかなエピソードをどうぞ。

「カップ焼きそばは湯切りして」
http://awawasyoji.hatenadiary.jp/entry/2014/10/15/042039

明るく元気いっぱいのイシラさんは、出張のたび東京支店に立ち寄り、面白話を披露してくれたが、これもその一つ。

「豚ヒレ」に悩むゴンザ課長にでか声ぞろいの面々ーでは本日のあらら商事を

「豚ヒレ」に悩むゴンザ課長、そこへ通りかかったのが親切なマルシマさん。問題をたちどころに解決。マルシマさんはスーパーレディなのか?

「 不屈のゴンザ課長 豚ヒレの巻」

http://awawasyoji.hatenadiary.jp/entry/2014/10/14/030156

 

蛇足ながら、 この方のユニークさはピカイチで、正直な感想を言わせて頂くと、全て無い無い尽くしの見本のようであった。エピソードも満載だ。

但し、厳しいことを言わせて頂けば、家族主義をうたったまさに昭和どっぷりの会社でなければ、とても定年まで勤めるのは無理だったと思う。更に言うと、お見合い50回あまり、目出度く華燭の典を挙げ、可愛いお嬢さんさんにも恵まれた。まったく、人生の不思議さを思わせる方であった。

 

自分のでか声を意識しなさすぎる面々、やっぱりあらら商事だわ!

「でか声ぞろいのあらら商事」

http://awawasyoji.hatenadiary.jp/entry/2014/10/13/053652

 

この二人は身長差が20cmほどあるが、横幅はどちらも声に劣らず大きく、ついでに言うと態度もでかかった。

 

 

*お知らせ

あらら商事の記事は、ご紹介した後1週間位を目処に順次削除してゆく予定です。

クスリと笑って頂ければと、「あらら商事は本日も晴天なり」を本日よりご紹介

昨年まで勤務していた会社で、私が実際に経験した面白話を、「照る葉の森から」とは別仕立で、「あらら商事は本日も晴天なり」というタイトルで、実話をデフォルメ無しにごく短い記事にしたものがある。

自分の周りだけの狭い範囲なので、そうそう毎日面白いことばかりが起きるわけでもない。結局ネタが尽きて、そちらは既にやめて久しい。やめた直後、(やっぱりこれは)と、少しでも差し障りがありそうと判断した記事は削除しておいた。

今思えば、まったくどうってこともないのだが、書いた直後は、モデルとした当人を日々目の前にしていたので、面白がりすぎてちょっと悪いかなとの思いもあった。だから、残っているのは、誰にも当たり障りのないものばかりになってしまった。

もうほとんど誰の目にも触れないこれらの記事を整理しようと思い立ち、その前に、「照る葉の森から」で、毎日2記事づつ紹介してから削除することにした。既にこちらの記事をご存知の方も、もう一度クスリと笑って頂ければ。

但し、面白くも何ともないじゃないかとお怒りになられても、当方で責任は負いかねますので、お読みになるのはどうか自己責任で!ではどうぞ。

ある晴れた朝に

 http://awawasyoji.hatenadiary.jp/entry/2014/10/11/043238

のどかな昼下がり

http://awawasyoji.hatenadiary.jp/entry/2014/10/12/044344

 

一人の時間を豊かに生きるには〜歳を重ねるほどに精神の自立が大事

仕事を離れて1年。辞めた後、時間をもてあますのではないかと危惧していたのだが、それはなかった。老後は、幾つか趣味を持って、人との繋がりも増やしましょう的なアドバイスが載った本を見かけるたび、自分の考えとはちょっと違うなと感じていた。

私はむしろ、人との関係を見直したいと思っていた。そして、どんどん自分を狭めていると感じるほどに、あえて人との距離を取るようにしてきた。といっても、元々が友人・知人が少ないので、改めて宣言するほどのことでもないが。

止めようかどうか迷いながら続けていた年賀状も、来年からはきっぱり止める決心がついた。今年は、昨年父が亡くなったので年賀欠礼の挨拶状を出したため、連絡しなかった方から数枚頂いただけであった。

だが、年賀状がなくても別にどうってこともないなと感じた。どのみち、昨年までの数年、正月は日本に居なかった。もし、正月に自宅で過ごしていたら、やはり年賀状が来ないのは寂しいのかなと思って止める踏ん切りがつかなかったのだが、これでようやく決まった。

人は、一人では生きられないとはよく言われる。殊に、大災害が起こるたび、隣近所をはじめ、日頃さほど付き合いのなかった人の親切が身にしみたというような報道はよくなされた。実際、その通りだと思う。そして、そのたびに絆という言葉がクローズアップされる。でも、しばしば繰り返されるその言葉が、どうにもしっくりこないでいた。

「絆」とことさら声を高くしなくても、いつでも、誰に対しても、自分ができる範囲での手助けは惜しまずにしたいと思っている。自分がしたい親切ではなく、相手が本当に必要としていることを見極め、手を差し伸べる。その手が不要になったら、そっと離れるだけ。もし自分が逆の立場になったら、必要な分だけ、有り難くその手を受ける。

私には、できることならそのように困った時だけ手を差し伸べ合う関係が理想で、普段は極々あっさりがいい。絆となると重すぎて、適度な距離間が保てなくなる気がしてしまう。心理的距離が近すぎると、自分目線だけからの愚痴や僻みが溢れ出しかねない。そんな甘えを、自分に許したくはない。甘えたくなったら、自分で自分を甘やかしてやればいい。

だから私は、人との関係に距離を置きたい。歳を重ねれば重ねるほど、精神の自立を大切にしたい。趣味や友人を増やしましょうというのは、暇つぶしの時間や相手を見つけましょうに他ならない。だから、それら推奨の逆をいくように、豊かにある時間を使って、自分一人で自分の世界を広げたい。

おかげで今、私は自由に心楽しく生きている。多分これから先も、ただ時間を埋める人生とは無縁でいられると思う。そして、精神の自立のためには身体の健康が大事と、日々せっせと歩いている。

能天気の素を探しにー殺伐としたニュースばかりでは気が重くなる

りんごの木のあるお宅の側を通りかかると、先週芽吹いたばかりなのに、もう花をつけていた。このところ続いた初夏のような陽気が、後押ししたのかもしれない。それにしても、植物の成長は早いと感心するばかり。

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りんごの蕾

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中央下あたりに咲き始めの花あり

そこから角を曲がったちょっと先には 、ピーターラビットでもひょっこり顔を出すのではないかと錯覚しそうな一画がある。かなり広いけれど公園ではなく、マンションの敷地内だ。環七のすぐ側とは思えない光景に、〈無断立ち入り禁止〉の立札の横で、金網越しに一枚撮らせてもらう。タンポポカラスノエンドウハナニラと彩りも良い。

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ピーターラビットがひょっこり現れそう

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赤紫色がカラスノエンドウ 左上の白色はハナニラ

もう一棟建てられそうなほど広々としていて、少し前には桜がきれいであった。日々このような景色を眺められるなんて、住んでいる人からすればラッキーという感じかな。それとも、見慣れちゃったらなんていうこともないよかな。

ところで、自然界は春の喜びで弾けそうなのに、翻って人間界は、毎日嫌なニュースばかりでまったく殺伐としている。そんな中私は、能天気の素を探して街歩きに精を出す。

 

"読まない字は書かないようにフランス国へ申し込んだらどうだろうか"という発想にびっくり

『旅行記でめぐる世界』(前川健一・文春新書・H・15)というタイトルに、どんな旅行記を取り上げているのかなと目次を見たら、安岡章太郎の『アメリカ感情旅行』があった。(オッ、これは)と読み始めたら、期待以上の優れものであった。

海外旅行自由化以前からごく最近までの、著者いわく"「私好み」"の旅行記を選び、それぞれの時代の旅行事情及び状況から、個人や社会を考察しているのだが、エピソードの切り取り方にセンスが光る。

第1章(2)有名人の旅に出てくる画家中川一政の『モンマルトルの月』には、とりわけびっくりした。横に"旅する年齢"とあって、別にユニーク話の披露を意図しているわけではないのだが、私の眼前には、画家の個性が強烈にクローズアップしてきた。

ブラジルからフランスに渡る船の中で、妻にメニューを読んでもらいながら、

"「驚くべし。・・・何故フランス語はこんなに読まない字を沢山つけているのだろうか。私ごときは正直だからみな読んでしまう。日本語では読まない字などついていない。
正直な者を誤らせないために読まない字は書かないようにフランス国へ申し込んだらどうだろうか。どうもフガフガで気にくわない。

ところが、中川がフランスに着いて、フランス語を耳にすると、その優雅さに魅了される。その「優雅さ」は、「読まぬ文字から発せられるのではないかと思う」ようになり、「それゆえ、フランス国へ忠告を暫く見合すことにした」のである。"(P・23〜4)

"読まない字は書かないようにフランス国へ申し込んだらどうだろうか。"って、こんなこと考える人がいるんだと、その発想に心底驚いた。"正直な者を誤らせないために"って言うが、"私ごときは正直だからみな読んでしまう。"というように、だいたいが自分が間違えてしまうからに過ぎない。

こんなユニークな人の書く絵はどんなだろうと、早速画像検索してみると、さまざまな絵の中に、赤と黒の出目金の銅版画があった。飛び出た目に好奇心がいっぱいの金魚は、この文章にはぴったりだ。

と、私の頭はちょっと本から離れてしまったが、ともかくこのように、旅行記の中のほんの僅かな部分にスポットを当て、その人物像をくっきり浮かび上がらせる。その光の当て方がこちらのツボに合致するものだから、どんどんのめり込んでしまう。ちなみに、この著者自身の旅行記も、ぜひ読んでみたくなった。

ところで、倉沢愛子著『二十年目のインドネシア』は、かつて貧乏留学生として滞在した国に、その二十年後、日本大使館の職員として赴任したところ、見えてくる光景がガラリと変わってしまった例として、とても興味深い。

他にも幾つか気になる本があって、まさに、旅行記で世界を巡っているような気になる。