宇治 平等院
池の畔を回って中央へ差し掛かると、皆写真を撮っている。10円硬貨に描かれた場所だ。最前列から抜ける人を待って、私もシャッターを押す。鳳凰が羽を広げた姿を模したといわれる外観は美しく、池に映る姿も素晴らしい。サイフを出す度見慣れた姿とはいえ、実際に目にすると感慨深いものがある。
そのまま人波について行き、ミュージアム鳳翔館へと入る。一通り見学してから帰る事にした。門前に並んだたくさんの店には、気を引く物がいろいろと並べられている。宇治茶も、土産に良さそうだ。しばらく眺めながら歩いていたが、皆が曲がる所を避けて、一つ先の大通りに面した道を選ぶ。すると、先ほどの人の列は幻かと思うほどに、人が少なくなって歩きやすい。
大学で日本美術史をテキストとスクーリングで履修するまで、私は仏像にも建築物にも全く関心がなかった。むしろ宗教的要素が苦手であった。それが学び始めた途端、ぐんぐん興味が湧いてきた。レポートを書くために読んだ参考文献は面白く、試験のために覚えなければならない諸々も苦にはならなかった。授業の折、スライドで見せて頂いた数々の仏像に、いつか実物をみたいと思うようになっていた。
上野の国立博物館へは仏像を見る機会があるたび訪れたが、いつでももの凄い数の人であった。全方向から見る事ができるのもいいが、見難くてもいいから、仏像が置かれた場所で見たいと思うようになった。折に触れ、奈良に行くようになったのは、その頃からである。
桜井・聖林寺で十二面観音を拝観した時の、思わず跪きたくなるほどの感動は今でも忘れられない。本物も知らずに、本から抜書きした私のレポートの何と表面的で薄っぺらだった事か、観音様にお会いして良く解った。比較するほどの知識もない者が論じる文章ほど、情けないものはない。いっぱしの事など言わなくても、見て感じる心さえあれば良いのだと今は思える。そこから文章は自ずと生まれる。