照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

自分の評価は自分で

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「評価される」という事から離れてみようと決めたら、だいぶ楽になった。漠然と誰かに認めてもらっても、それは一時の満足でしかないと気付いた。評価されようとされまいと、自分が納得するように全力投球すればいい。

それは仕事においても同じだ。会社員として働いている以上は、評価がついて回る。現在の会社に移行する前は、学歴が何よりも優先される古い体質の会社であった。学歴がない者が仕事で評価されても、ボーナスが多少多くなるくらいで、その基となる職階が上がる事は滅多になかった。仕事は食べるためと割り切っていたつもりでも、長く働くうちには強烈な不平等感に悩まされる事もあった。それはプライドの問題であった。やりきれない思いを抱えながらも、何とかモチベーションを高めようと自分を鼓舞しつつ、誠実に仕事に取り組むしかなかった。大袈裟な言い方をすれば、自分に徳を積むという思いであった。 

やがてその会社が消滅して、制度の縛りが取れた途端昇進した。そしてその数年後、全く予期せずに更に昇進した。それは、経済的な面で非常に有難かった。会社が消滅する事態に落ち入った時点で、プライドの問題なんてとっくに消えていた。

私が勤務していた事務所では、別会社へ移籍できない部署もあった。私より後の入社で、先に職階が上がった者もそこに含まれていた。その後、その部署の人たちの再就職にまつわる奮闘ぶりを聞くにつれ、人生は、トータルすればプラスマイナス0なのかもしれないと思った。自分だけが損をするのでもなく、また得をするのでもない。それは金銭面だけではなく、すべてを総合的に考えればという事である。出た分は、どこかで引っ込んで帳尻が合うようになっている。これ以後も、同様の事を考えさせられるような事例にしばしば出会った。

当時の私は、新会社へ移行しても先行きが安泰とは思っていなかった。ただ、とりあえずでも職場が確保できた事が嬉しかった。誠にささやかな住まいを手に入れて数年という事情もあった。会社消滅という発表に暗澹たる思いで過ごした数ヶ月であったが、過ぎてみれば私にとってはむしろ良い結果となった。会社移行に伴う経済面での諸々は、住宅ローン完済の後押しとなった。身軽になれば怖いものはない。1年はしっかり蓄えて、次に起こる危機に備えようと考えていた。有難い事に、それも杞憂に終わり現在に至っている。

このように運が良かったのもすべて現在の会社のおかげと、感謝の念が常に自分の中にあった。評価されたという嬉しさで、昇進後はますます期待に応えるよう自分を枠に入れていった。どこでも組織となれば、すべてがいい事尽くめではない。理不尽な事も多々あって、不満も出がちになるが、私の場合、感謝の気持ちの方が勝った。黙って 、ただせっせと働いた。

だが、昨年来思うところがあって、自分を縛るのはもういいかなと思った。自分の仕事はきちんとやるが、それ以外の雑事には関わらないようにしようと思った。組織といっても、評価するのは当然ながら人だ。往々にして、仕事以外の些事も評価者の心象に影響する。だが、もう無理はしない。評価されたいという欲を手放す事にした。仕事ばかりか自分の全てにおいて、人の評価は求めないと決めた。人生の終わりに後悔しないために、自分の評価は自分でする。自己満足にすぎないが、自分が満足できない人生は幸せだろうか。