照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

「空色の楽園」から引き継いだ問いはいつでも自分の考える基準としたい

アントニオ・タブッキの「空色の楽園」(『逆さまゲーム』・須賀敦子訳・白水社)を読み始めたら、秘書求むに応募した若い女性が、いかに自分のイメージを高めるかに心を砕く様に、つい先頃、メディアを賑わした学歴詐称問題がふと浮かんできた。

今回の件では、それが行き過ぎて、学歴ばかりか経歴まで、嘘で塗り固めることになってしまった。だが実際のところ、誰だって似たり寄ったりだ。皆、持ち物から立ち振る舞いにまで気を配り、自分を自分以上に見せるために奮闘している。政治家の経歴から、すぐさま留学の文字が消えたというのも可笑しい。無い職名を、勝手に名乗ったというのもあった。

それにしても、持ち上げて落とすというのが、マスコミの常套手段とはいえ、いつもながら、その後の暴かれようも後味が悪い。疑惑は、整形からシークレットブーツにまで及んでいるが、これは全く、これまでの妬みへの裏返しとしか思えない。

話題になって初めてその存在を知った私が言うのは、単なる推測でしかないが、次々に出てくる名を知られた人々のスキャンダルについても、同様のことを感じる。皆、自分とは何の関係もない人を叩くことで、ウップン晴らしをしているとしか思えない。

有名な詩のパロディ風に言うと、左に弱っている人が居れば突き飛ばそうと駆けつけ、右に蹲っている人を見たら、更にペチャンコにしようと蹴飛ばすという具合だ。自分には何の関係もないのに、ただ面白がって、遅れてはならじとばかりに、煽る人の尻馬に乗る人がどんどん増えている気がする。

もしも自分の気持ちが、邪な方へ動きかけたら、これは、自分が、心から怒りの手を振り上げたくなることだろうかと、自問してみるのもいい。そして、本当に必要な時、きちんと声をあげられるようにこそしておきたい。

ところで「空色の楽園」は、軽い感じで入っていったのだが、ユッペール氏が、人間としての良心の選択を迫られる最後にズシンときた。そして、その深くて重いテーマが、(あなたなら人としてどうしますか)と、読むこちら側へ、永遠の問いかけとして引き継がれる。そして何かあるたび、それを自分の判断の基準にしたい。