照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

我欲とは真逆な人々を描いた映画ー『殿、利息でござる』

質素を貫くフランシスコローマ法王やホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領のような人が話題になるのも一時で、その暮らしぶりを見習おうとする者などごく稀だ。

とりわけ昨今は、『無私の日本人』(磯田道史・文藝春秋・2012年)どころか我欲の日本人と茶化したいほど、大なり小なり欲の皮の突っ張った人ばかりがニュースの主役になっている。数年前、まさかと思うような人でも、お金の前では目が眩むという事にかなり驚いたものだ。身銭を切るなどは以ての外、何とか人のお金で良い目をしようと躍起になる人間は、皆一様にそのあさましさが顔に表れる。

そのような人たちとは相反する『無私の日本人』は、本が店頭に並ぶなりすぐ読んで、昔とはいえ、こんな無欲の人たちもいたという事実にずいぶん驚かされた。今回は、その本で取り上げられた一人、穀田屋十三郎を主人公にした映画『殿、利息でござる』(渋谷シネパレス)を観てきた。

250年前、凶作続きの上に、伝馬役と呼ばれる荷役の負担が重くのしかかり、貧困で衰退してゆく宿場町に、何とか歯止めをかけようと奮闘した人々の話だ。誰もが生きるに精一杯だった時代、自分の事は捨て置き、人々のためにずっと先まで見越して対策を練り、何年もかけて実行した人たちに頭が下がる。

しかも穀田屋には、自分(十三郎)のしたことを自慢するのはもちろん他言してもならぬという家訓まである。人は、自分が少しでも良い事をすれば、人にひけらかしたくなるという人間の心理をよく心得ていて、子々孫々まで守らせようと家訓にした配慮がすごい。映画の中でも、守るべき掟が読み上げられる場面があるが、誰でも人としてこのように慎ましやかであれば、世の中はもっと住みやすいだろうと強く感じた。

ところで、他言厳禁にも関わらず、なぜ今の世まで知られているのかといえば、この町にある龍泉院の住職が、宿場町・吉岡を救った9人への感謝の気持ちを忘れないようにと、その記録を「国恩記」として残しておいたとのことだ。

また、著書の磯田道史さんがこの話を知るきっかけは、『武士の家計簿』が映画化されて話題になった後、吉岡に住む方から、自分の町に伝わっている立派な人たちの話をぜひ本にして頂きたいと手紙が来たことだという。そのおかげで私たちも今日、本や映画を通じて 、そのような無私の人々の志に触れることができる。

忌野清志郎さんが歌う「上を向いて歩こう」がエンディングで流れるのだが、これが凄く心に響き、映画の後味の良さがぐんと増す。ちなみに、原作は文庫本にもなっている。本を読んでから映画を観るのがお勧めだ。