照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

物には手放し時があるー消えた服の話

少し前、服の処分について書いたが、とことん着て、尚、捨てきれずに着続けたコートがある。すると、何とも不思議だが、服から去っていくということがあった。

端的に言えば、失くしたのであるが、私には、どうしても、服からさよならされたとしか思えなかった。それまで、ハンカチやイヤリングを落としたことはあるが、それ以外の物、ましてや服を失くすことなどなかった。

それは、たまたまデパートへ行った折、ディスプレイされていて、目に留まった。実際はワンピースであったが、コートのようにコーディネートされていた。試着させてもらうと、まさにイメージ通りで、迷わず購入した。

3月初旬はまだ寒い。早速ロングカーディガンを組み合わせ、コートとして着てみた。なかなかいい。これなら真冬でもいけると、ひとりで悦に入っていた。

ちょっと羽織る物が欲しい時は、まことに重宝で、買ってすぐから、大活躍してくれた。ごく薄手なので、初夏まで着られる。それに、黒なのでフォーマルにも、カジュアルにも合う。まさにクローゼットのスターとして、出ずっぱりであった。

また、一見綿のようで、そこも気に入った点であるが、実際は新素材のため、シワにもなりにくい。それに、もともとがワンピースなので、畳むとハンドバッグに入るほど小さくなり、旅行などにもうってつけだ。

そのようにして何年も来ていたが、ある時、自分の不注意で、ポケットの辺りを破いてしまった。慌ててバスに乗ったのがいけなかった。車中で気づき、まったく悲しくなってしまった。

大きく裂けてしまっていたが、自分で直してみた。幸い黒なので、下手な繕いでも目立たない。以後、ペースダウンはしたものの、着ていた。それから更に2年ほど経って、さすがに処分時かなと思ったが、それでも時たま着ていた。

そして、旅行を一週間後に控えたある日、帰宅途中に、忽然と消えてしまった。脱いでバッグに入れていた筈が、2度目の乗り換え時に、無いのに気づいた。すぐに、来た道を辿ってみたが、無かった。再び電車に乗り、JRの駅まで戻った。駅員さんにも訪ねてみたが、届け出はないという。

がっかりしたまま、また私鉄に乗った。降りた駅でも尋ねてみたが、やはり届け出は無いという。JR、私鉄、それぞれへ再度問い合わせようかとも考えたが、私には、大事な服でも、人から見れば、くたびれたボロ布のようにしか見えないであろうと、さすがに止めておいた。

私が、処分時を過ぎてなお執着していたので、服の方から、去ってくれたのだと思えた。旅行もあるので、すぐにでも別のを用意する必要があったが、数日は、見に行く気さえしなかった。予期せぬ別れに、喪失感は3、4日続いた。

だがこれを機に、物には手放し時があることを学んだ。そして、本当にお疲れ様でしたと消えた服にお礼を言って、心を収めた。物を活かしきった後は、いつまでも執着せず、すぱっと諦めるのも大事と思える出来事であった。