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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

本音、辛口、毒舌の類は、当初その毒が小気味よく感じられるだけと気づいた

図書館で、面白そうな本はないかと書架を眺めていたら、あるタイトルに目をひかれた。著者は文芸評論家で、確か、米原万里さんが絶賛してたなと、手に取ってパラパラめくってみた。

内容は、ジャンル別の本の批評だが、切り口が新鮮に思え、座って読むことにした。といっても、文庫本として出たのが2001年なので、取り上げられている本はかなり前のものだ。

パンチがきいていて小気味よいと感じたのも最初のうちで、これは本音、辛口、毒舌の類だなと思った。しかも、なかなか毒気が強い。そう思いながらも、読み始めからその毒にすっかり当てられてしまったのか、もう少しもう少しとつい読み進めてしまう。

でも、所詮毒気のあるものは、僅かなら薬にもなろうが、口に苦く感じられ、棚に返してしまった。後味の悪さに、この評論家を絶賛していた米原万里さんにも矛先が向き、『打ちのめされるようなすごい本』に出てきた幾つかの本には、まったく共感できなかったことなども思い出される。

だいたい、抱腹絶倒という言葉がしばしば出てくる本に限って、面白くも何ともなかった。むしろ、彼女のお書きになった本の方が、よっぽどお腹の皮がよじれた。実際、何を面白く感じるかは、食べ物の好み同様、まったく人それぞれだと改めて認識する。自分のツボ、あるいは味覚にピタリとはまれば、これは最上となるが、そうでなければ、別にどうってことないなとなる。

これまで私が、評論的な本に関心がなかったのも、批評なんて、結局はそれぞれの感覚次第、主観の問題だと思うからだ。稀には、本に限らず人物に対しても、素晴らしいと唸る批評などもあるのだが、めったにお目にかかれない。もっとも、多くの本にそれほど目を通しているわけではないので、私が知らないに過ぎないのかもしれない。

とはいっても、これからも評論本には手を伸ばさないだろう。やはり、読んで自分が感じたことを大事にしたい。誰がどのように評価しようと、それは私には関わりのないことだ。そればかりか、辛辣な批評というのは私の感覚にそぐわない。的確な指摘が、相手を大きく伸ばす方へと向けるのでなければ、単なる悪口と変わらない。しかし、ある意味こう考えることも、偉そうな批評になるのかな。