ピラール聖母教会は天井画も素晴らしい〜その一部はあのゴヤ作という
ローマ時代に作られたピエドラ橋から見たピラール聖母教会
ピラール聖母教会
サラゴサのピラール聖母教会は外観も見事だけれど、内部の天井画がとても素晴らしい。システィーナ礼拝堂(ヴァチカン)のミケランジェロばかりがもてはやされているけど、いやあ、これもなかなかのものだよと一人ごちる。ところで、誰が描いたのだろうとホテルに帰ってから検索すると、ゴヤの名が出てきた。(但し、全体ではないようだ。)
ゴヤとサラゴサの関係について知らなかった私は、改めてガイドブックをよく読むと、トピックスに、"ゴヤの故郷を訪ねよう"とある。フランシスコ・デ・ゴヤは、サラゴサから44キロ離れた小さな村で生まれたそうで、アクセスや生家に関して書かれている。
しかし、ガイドブックには記述されていないが、ここサラゴサにはゴヤ美術館もある。教会の天井画を含め、これとても大事な情報でしょうと思う。ピラール広場にはゴヤの銅像も建っていて、14歳からサラゴサに住んだゴヤを、この街の人々がいかに誇りに思っているかがうかがえる。
ところで、ピラール聖母教会の内部には、撮影禁止の貼り紙が至るところにあるが、絶え間無く訪れる観光客は、ミサの間だろうとお構いなしにパチパチ撮っている。係員が、見つけるたび注意しに行くが、一人ではとても手が回っていない。
この教会には月曜日から木曜日まで、滞在している間毎日通って足を休めがてらミサの様子を眺めていた。そして、つくづく教会は祈りの場という当たり前のことに思い至った。そして、その土地に暮らす人々が大事にしている場にズカズカ踏み入って、禁止もなんのその、自分の感激を思い出として残したいがために写真を撮るという行為に、疑問を覚えた。
確かに、天井画ばかりか、聖母の礼拝堂の作りといい、写真に残したい誘惑に駆られる。彫刻も良い。でも、連日首が痛くなるまで見上げているうちに、こうして自分の記憶に留めるだけで良いと思うようになった。写真に撮っておけばいつでも見られると考えても、結局は、行ったという証拠だけに終わってしまいがちだ。細部が、いつしか記憶から滑り落ちるのなら、それはそれで良い。
これまでのように何でもかんでも一応撮っておくかと異なり、旅先で、自分の心にピカッと光った事だけ、最小限の写真しか撮らないというのもずいぶん気楽だ。ガイドブックに載っている目玉とはまったくかけ離れた画でも、自分が気になった部分を大切にしたい。自分の感覚に従ってあちこち街歩きする楽しみは、まさにこれだ。名所見物だけなら一泊するほどのこともないが、サラゴサに4泊したのは実に正解であったと、一人でニコニコと嬉しくなる。
バルセロナの街の美しさに感激しながらも、警戒怠りなく緊張していたのとは違って、ここサラゴサに流れるゆったりとした雰囲気は私の心を寛がせる。それに、ホテルが安い。バルセロナの目の玉が飛び出る料金を、ここで調整できるのは何よりだ。ともあれ、本当に落ち着ける良い街だ。