照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

"魚座の季節。新しいスタートに向けて準備"にそうだったのかと自分の行動に納得


"魚座の季節。新しいスタートに向けての準備する。整える。"というタイトルに(彩星早苗さんのブログ「頑張り屋さんの未来に星の光を」2/19付)、自分がこのところずっとしてきたことがうまく合致して、ああそういうことだったのかと腑に落ちた。
http://heartnavigator.hatenablog.jp/entry/2017/02/19/175340

"自分の手元にきちんと残しておきたいもの。残さ なくていいもの。

曖昧にしないで、はっきりと分けてみる。

分ける作業は億劫に思うかもしれないし、

場合によっては勇気がいるかもしれないけど。

来月中旬から、新しい1年が始まるから。

すっきりとした気持ちで始める為に、やってみよ う。"

彩星さんが言わんとするところは、多分、心の整理についてだと思うが、私には、ここしばらく取り組んできた物の整理と重なる。

1月末、リフォームの見積りに来て頂いた際、工事はいつ頃からと尋ねると、業者さんによって3月、あるいは4月とのことであった。頼んだらすぐ始まって、サッサと終わるだろうくらいに考えていた私は、見積書が出るまでに一週間に先ず驚いたが、その後具体化してゆくにつれ、そんな簡単なことではないのだとようやく分かる。

しかし、3月と聞いた途端、そんなに遅いのですかと驚く私に、担当者の方が、どこか不具合でもあって急がれるのですかとおっしゃる。だが、今現在、住むのに不自由な事はまったくない。着工が4月、場合によってはもっと先でも何の不都合もない。ただ、もともとが、決めたらさっさとやりたい派なので、気分が高まっているうちに済ませたいというのもあった。が、それ以上に、なぜか3月中には終えたいと感じていた。

そのなぜかが冒頭の、"新しいスタートに向けての準備"、そして本文の、"来月中旬から、新しい1年が始まる"で、はっきりと見えた。私がしてきたのは、星座の新年に向けて、いわば年末の大掃除だったのだ。だから、無意識ながら、3月初めの着工、月内には終了を希望したのかもしれない。

ちなみに、"そんな魚座の季節、3月19日までです。"とある。ということは、3月20日からが新年だ。ある理由から、私はいつもこの日を、自分の中で大事な日として意識していたのだが、その日が新年のスタートに重なっていたとは、これまた何という偶然だろう。

占星術ばかりか、あらゆる占いの類には関心がない私だが、彩星さんの読み解く星の言葉をブログで拝見するたび、折々の自分の行動と結びついているなと感じることもしばしばだ。そういうことだったのかと納得すると、さらに自分の感覚及び判断に自信が持てるようになる。

私も宇宙の一員。古代の人々がそうであったように、星々と共に大きな流れの中で生きている。そんな気がする。

 

怒りを感じた時はスクワットで場面転換を

昨日のラジオ(NHKFM)で、脳科学者の加藤俊徳さんが脳に関するさまざまな話をされていた。その中でも特に、怒りについての諸々が興味深かった。人が怒るのは、脳がどう対処していいか分からなくなった時だという。

 

だから、例えば子どもが怒り出したりした時など、親もついつられて大きな声になりがちだが、それはまったくの逆効果でしかない。そんな時はむしろ、場の状況を変えるように、静かに小さな声で話すといいそうだ。すると子どもの気分も変わって、落ち着いたりするという。もし、自分の中から怒りが湧いてきた時などは、ちょっとスクワットなどしてみると怒りが静まるという。

 

怒りを持続させたままにしてしまうと、カッカした状態から冷めるまで1時間ほどかかるらしい。脳への血流は高まるが、脳の活性化にはならないという。だからあえて場面を変えて、脳の気をそらすようにした方がいいそうだ。

 

また、怒るのは脳が疲れている証拠でもあるので、そんな時は、寝て脳を休ませるというのも良いらしい。確かに、人は疲れたり、空腹だったりすると怒りっぽくなる。子どもなどは特にそうだ。それはきっと、脳からの栄養補給と休息の要求なのだろう。もしくは、自分の脳の容量を超えて酷使し過ぎた結果、逆に栄養不足及び疲れを招くというこもあるかもしれない。

 

大人が怒るのは、自分に理解できない時というのも、納得する。どのように説明されても、相手の言うことがちっとも頭に入ってこないと、イライラして怒りたくなる。おまけに、自分の理解不足とは認めたくないほど、生きてきた年数だけ変なプライドもついている。

 

ともかく、怒りに振り回されないためには、どんな場面でも、一度その状況から離れるというのが大事だ。場所を変えるのが可能なら、少し歩き回るのもいい。不可能なら、その場でできる運動をして、一呼吸おくという手もある。

 

心の底から怒らなければならない事って、そうそう多くはない。むしろ、怒りのエネルギーはそういう時にこそ取っておいて、平素は怒らずに過ごした方が、精神衛生上も良いと思う。

 

〈何言ってるんだ、怒りなんて瞬間に湧き上がるものなんだよ。咄嗟に冷静になれるか!〉と、今まさに怒りを感じた方は、どうぞ深呼吸を。プラス口角を上げてみる。または、振り上げたこぶしをそのままに、ラジオ体操に入るというのもいい。落ち着くこと間違いなしだ。

"誤りでミシュランの星獲得、客殺到の仏レストラン"という記事に思う

"誤りでミシュランの星獲得、客殺到の仏レストラン"というニュース(AFPBB News)が目についた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170218-00000037-jij_afp-int

記事によると、
"【AFP=時事】フランス中部にある値段が安くてにぎやかなレストラン「ブーシュ・ア・オレイユ(Bouche a Oreille)」では、このところウェイターたちが大忙しで客の対応に追われている──レストラン格付け本「ミシュランガイドMichelin Guide)」で「誤って」一つ星を獲得してしまったからだ。・・・・・
先週発表された2017年フランス版「ミシュランガイド」のウェブサイト版では、同名の別の店と誤ってジャケさんの店が掲載され、訂正されるまでに1週間近くかかった。誤りがあったのはウェブサイト版だけで、伝統を誇る書籍版や、モバイル版では問題はなかったという。"
とのことだ。

ちなみにそこは、"常連客が一皿12.50ユーロ(約1500円)の「ブルゴーニュ風牛肉の煮込み」を平らげるようなカジュアルな店"だそうだが、常連客もさぞびっくりしただろうな。

急に、連日の満席に戸惑い、予約できないことに大迷惑と思ったか、それとも内心では、(いやあ、「一つ星」がつく店とはねえ!まさかそれほどとは思わなかったが、我が舌は大したもんだ。)などと悦に入っているかな?

しかし、どこだって、みんな権威のお墨付きには飛びつくんだと思った。我が国でも、テレビで取り上げられた途端客が殺到という話はよく聞く。

ちなみに、誤って発表されてから訂正されるまでの一週間、初めての客は、実際どれくらい殺到したのだろう。そして食べた後、(うん、やっぱ「一つ星」は違うねとご満悦であったのか。それとも・・・。)なんて、余計な妄想が湧いてくる。但し、間違いと分かった時の感想はぜひ伺いたいものだ。

ところで、店名が、仏語で「口コミ」を表すというのもちょっと面白い。この、"誤りでミシュランの星獲得"もクチコミで広がって、更に客を呼び込むことになるかもしれない。手頃な価格で美味しいときたら、星付きでなくても、行ってみたくなる。"赤と白の水玉模様のクロスがかかったテーブル"で、気楽に食事を楽しむのも良さそうだ。

 

引っ越しに当たってのゴミ出しは段取り良く早め早めに済ませるといい

このところせっせと片付けをしていたが、粗大ゴミの回収依頼も済ませ、ようやく一段落といったところだ。ちなみに、私が住んでいる区での粗大ゴミ回収は、回収を行っていない日曜日を除いて、希望日を選ぶことができるという。てっきり、地域毎に曜日が決められているものと思い込んでいたのだが、今回申し込んだ際に聞いてみて、かなり柔軟であることが分かった。

なあ~んだ、もっと早く確認すれば良かったという気分だが、これまでは、別にいつの回収でも特に問題はなかった。当日の朝8時までに、回収日と受付番号を書いた粗大ゴミ券を貼って出しておくだけだ。

今回はリフォームのため、一旦部屋を空けなくてはならない。衣類やその他の物は、クローゼットに詰め込んでおくので、嵩張る物さえ無ければ、置き場所のために新たに部屋を確保する必要もない。工期は3週間ほどなので、ビジネスホテルを利用することにした。

そこで荷物の整理となったのだが、長年使用してきた家電製品など大きな物は、この際処分することにした。が、着工日直前までギリギリ使用したい。部屋を出るのは回収日に合わせようと考えていたので、その日をこちらの都合で選択できるのはとても助かる。

部屋のリフォームが具体化した時、持ち物は少ないながらも、引っ越しは面倒だなとやや気重であった。でも、実際に片付け始めると、これまでの暮らしの棚卸しにもなって、むしろ良い機会であった。おまけに、クローゼットに入るだけという制約があるため、思い切り良くバサバサ捨てることができた。

そうでもないと、片付けると言いつつ、何のかんの理由をつけて再度しまい込んでいたかもしれない。始めはしぶしぶであったものの、おかげで本当にスッキリした。折々に処分しているので、ゴミもさほど出ないだろうとたかをくくっていたが、無いようであるのがゴミを実感。

今回は荷造りこそ伴わないものの、ほぼ引っ越しと同様だ。通常の可燃物や不燃物、資源物のゴミ出しはもとより、粗大ゴミに至るまで、段取り良く進めてゆかないと、出かける間際までバタバタすることになりかねない。でも、片付けに精を出した甲斐あってほぼ終了。後は、3月に入ってからの回収日を待つだけとなった。

ところで、3月に入れば引っ越しする人も増え、それにつれて、粗大ゴミの回収依頼も増えるだろう。越す直前の申し込みでは、そんな先の回収と慌てることにもなりかねない。

ゴミ出し然り、何でも自分の予定に合わせスムーズに事を運ぶには、やはり早め早めの段取りがポイントだ。殊に、"3月は去る"の言葉通り日が経つのが早く感じられる。引っ越しを計画している場合は、ご用心あれ。

まさかの"びりっこ元気だ一等賞"のマラソン大会ーこんなことってあるんだ!

ラジオを聞いていたら、「ビリの子が一番になってしまったマラソン大会」に、一瞬フェイクニュースかと思った。だが、これは岡山県笠岡市のマラソン大会で実際に起きたことだという。

小学生の参加者263人のうち、262人がコースを間違えて失格となり、一番最後を走っていた子だけが、正しいコースを完走したため優勝となったそうだ。まるで、"もぐらが見ていたうんどうかい  びりっこげんきだいっとうしょう"(「にんげんっていいな」山口あかり作詞・小林亜星作曲)みたいだなと思った。でも、なぜそんなことが起きるのと不思議であった。

3キロの同じコースを、中学生と小学生が走るのだが、先に中学生がスタートし、その少し後に小学生が走ることなっている。例年だと、小学生は中学生の最後尾についてゆくのでコースを間違えることはない。しかし、今回は中学生の参加者が40人と少なく、おまけに走るのが早かったため姿を見失い、コースを間違えてしまったそうだ。

沿道には表示があったものの分かりにくく、誘導する係員もいたが、安全確保に気をとられ、先頭を走る子どもたちが誤ったコースに入って行ったことに気づかなかったという。そして、後に続く子たちも、そのまま間違えたコースを走ってしまったという。

あまりに早いタイムに係員が確認したところ、コースを間違えたことが分かった。3キロ走るところを1.8キロしか走っていなかったそうだ。ところで、優勝した子は、前を走る子の姿も見えないほどに遅れていたことが幸いしたようだ。ランナーの最後尾には、レースを見守るため自転車に乗った係員がいて、その子を誘導したという。

優勝した子も、コースを間違えた子たちも、まさかのびっくりだっただろうな。でも、聞いている者としては、こんなことってあるんだと、むしろ微笑ましくなってくる。

テレワークが働き方の主流になるのはどのくらい先なのだろう

先日ラジオで、テレワークについての特集をやっていて、ある大手酒造メーカーの人事担当者が、制度を導入した頃から現在まで、利用者を増やすためどのように取り組んできたかについて話されていた。

 

制度導入当初は、あまり利用する人がいなかったので、さまざまな見直しをして、より利用しやすくしたところ、現在では、対象者5千人のうち7割が利用しているそうだ。パソコンへのログイン、ログアウトがタイムカードの代わりになっていて、10分単位での利用が可能という。

 

申請さえしてあれば、仕事するのは自宅だけでなく、カフェでも図書館でもいいそうだ。また、時短を利用している人、もしくは週2、3日出勤している人は、テレワークとの併用ができるという。いつどこで仕事しようと、1日の労働時間を満たせばいいので自分の都合に合わせられる。また、今やパソコンを使ってのテレビ会議が主なので、会議のために出社する必要もないそうだ。

 

などの話を聞きながら、しかし、そんな自由な働き方ができるのに、3割が利用していないというのはなぜだろうとむしろそちらが気になった。テレワークに関しての街中インタビューや番組に寄せられたメールでは、会社に行かないと取り残されたように感じるとか、顔を合わせて仕事をした方がいいとか、自宅でちゃんと仕事をしているのか気になるという意見もあったが、やはり、心理的要因が制度利用をためらわせているのだろうか。

 

テレワークどころか、フレックスタイムにも無縁な職場にいたものからすると、通勤ラッシュのストレスがないだけでも利用価値ありと思うのだが、実際のところ、通勤の大変さよりは、出社している安心感を選ぶ人が多いのかなと思う。かつて私の職場でも、身体的事情(足)で出勤が無理となった同僚が、1年以上に渡ってのかなり長い期間、特別に自宅勤務を許されていたことがある。

 

きちんと仕事しているか確認の意味もあって、テレビ会議システムを利用して業務担当者と毎朝連絡を取り合っていた。最初は、監視されているみたい(ってその通りなのだが)と思いながら様子を見ていた私たちだったが、やがて、同僚の方が、毎朝の定期連絡で画面を通じて顔を合わせるのを心待ちにしているふしがでてきた。

 

この同僚然り、案外大多数の人が、職場からずっと離れていると、疎外感や孤独感を抱くようになるのかもしれない。単身者ばかりか、家族がいても、子供たちが成長すると会話が激減して、職場が唯一安心していられる場所になってしまったのかも・・・なんてうがった見方をしてしまう。

 

前時代の化石のようなかつての職場を振り返れば、年配の管理職から、しばしばそのような感じを受けた。だから、テレワークを取り入れる議論さえ問題外という、群れ集まっていることが大きなポイントの会社だったのだ。そのため、テレビ 会議システムを導入したものの、活用には程遠かった。

 

中小企業が9割を占めている日本では、まだこのような会社が多いと思う。しかし、あとどのくらい経つと、人々の意識が変わって、働き方がもっとフレキシブルになるのだろう。今の30代が、経営の主流になる頃までは無理かな。仕事から離れたおまえが心配することではないと言われそうだが、やはり気になる。

 

 

いくら見た目を取り繕っても自分の素は隠しきれないー日頃の行いがものを言う

先日銀行で、用事が済むまでの間、国会中継を見た。国会中継は、テレビを持っていた頃でも見たことがなく、初めてだ。以前、たまにニュースの時間に流れるのを目にしても、正直関心が湧かなかった。

今回も、どうせつまらないだろうと思いながらも、いつ名前を呼ばれるか分からないのでそのままテレビに目をやっていた。テレビから離れた椅子に座っていたので、声はあまりよく聞き取れない。だが、答弁する大臣の顔を眺めているうちに、その表情を見ているだけでも、これは案外面白いのではと思えてきた。

また、質問する人やその周りでたまたま画像に入っちゃっている人と、それぞれの表情やしぐさ、着ているスーツやネクタイにも興味が湧く。これはまさに、人ウオッチングのちょうど良い機会だと、番号を呼ばれるまでそのまま見続けていた。

やがてテレビを離れても、これをきっかけに、さまざまな場面での人の様子などが思い出され、ついには、今回銀行で対応してくれたロビーや窓口の人にもウオッチングが及ぶ。

人は、見た目が9割とか全てとかいろいろに言われるが、それは、漠然とではあっても相手を意識している時の見え方だと思う。だから逆に、自分がどう見られたいかさえ心得ておけば、相対する人に好印象を与えることも可能だ。だが人は、想定していることには構えて臨んでも、ちょっとしたところに素顔がのぞく。

相手の性格や本心がどうあれ、日常での関わりが薄ければ、自分には何の影響もない。でも、ひとたび何か繋がりができると、相手の人柄は重要なポイントに浮上してくる。私が今回、リフォームをお願いするにあたって数社に見積りに来て頂いた際も、ことさらそのことを感じた。やはりお金が絡むと、任せられる人かどうか、見た目だけで相手を判断するわけにはいかない。

やがていろいろ話しているうちに、相手の素がチラチラ顔を出す。やはり、いくら取り繕っても、日頃の行いがものを言うと改めて感じた。そしてこれは、私こそ気をつけねばならぬことと、厳しく自分に言い聞かせたなり。