照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

"センス抜群の名建築十輪院"ー小川三夫さんの本を頼りに奈良を歩く

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十輪院

今回は、『古寺巡礼』(和辻哲郎著・岩波文庫)に加え、『宮大工と歩く奈良の古寺』(小川三夫著・文春新書)を携えて来た。道具もあまりない古い時代、棟梁たちは、建て方にどのような工夫を凝らしたのか、この本を手引きに、その知恵を見て回りたいと思った。

先ずは、"センス抜群の名建築"とある十輪院からだ。"十輪院元興寺旧境内の南東、奈良町の街中にひっそりとある。"(P・211)という言葉通りの寺であった。

"十輪院のひっそりと美しい佇まい。鎌倉時代の建築だが、低めの軒や天井、細い格子など、すでに後世の数寄屋建築にも通じる要素"(P・213)に、ガイドさんの説明をもらさず聞こうと耳を傾ける修学旅行生の気分だ。

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軒まわりの木組

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蔀戸の格子

さらに、"このすっきりした落ち着きは、木割りといいますが柱などの材が細いんです。"(P・217)とか、"蔀戸の格子の大きさも真四角にせずに、やや横に細長くし、棧の細さもすばらしいですなあ。"(P・217)に、建築に関して門外漢の私も、ああそうなんだと分かったような気になって眺める。

そして、"格子の太さ一本決めるんだって悩みますよ、ほんとうに。「あれっ、いいなあ」と感じたものは、ほとんどが計算されています。"(P・218)だが、その計算づくを見せないという。多分、これが粋に通ずるのではないだろうかと、俄か勉強の私にも、その良さがおぼろげに感じられる。

全体を評しての、
"飾り気を取り払ってあるけれども、気遣いはしている。低くおとなしげに見えるけど、芯はしっかりしている。それが格として人の心をうつ。いい建物ですな。この広縁でゆっくりしていたいですね。こういう気持ちを持たせてくれる建物はいいですなあ。"(P・218)
という言葉に、建物も人も同じだなと思う。願わくば、自分も人としてこのようにありたいものだ。

それにしても、後世の棟梁を唸らせたこの寺を建てたのはいったいどんな人であったのか、その哲学を知りたいと、遥か前の時代の棟梁に想いを馳せながら、寺を後にした。

 

こうなったらいいなと心の中に描いた夢は、時宜を得たらきっと叶う

昨日から奈良に来ている。リフォームが済むまでの間、滞在する予定だ。最初は、自宅近くのマンスリーマンションを考えていたのだが、大きな荷物が無ければ東京にいる必要はない。それならこの際、奈良に行こうかとなった。

 

実はだいぶ前から、退職したら、1ヶ月くらい奈良で過ごしてみたいと考えていた。仕事を辞めたらすぐ実行するつもりで、それなりの資金計画も立てたが、いざとなると、やはりその分は海外旅行に回したいとなってしまった。私のパイには限りがあって、あれもこれもはできない。多分、この先も無いなと考えていたら、それが思いがけない形でやってきた。

 

当初は、奈良でもマンスリーマンションにしようと思っていたが、ビジネスホテルにしても、トータルの金額はさほど変わらない。それなら、ビジネスホテルの方が何かと便利だ。ただネックは、土曜の予約だ。昨年までは、地域に関わらず土曜の予約は満杯で、まずできなかった。

 

それが、価格は上がるものの、1ヶ月前でも予約ができたのだ。但し、3週間弱の滞在で、ホテルを数回移動しなければならない。工期が決まるまで予約を入れるわけにもいかなったので、細切れになってしまったが、宿泊できるだけで良かったという感じだ。おかげで、希望するだけ奈良に居られる。

 

ところで、奈良で何するのと問われても、明確な答えはない。お寺や仏像をじっくり観て回りたいのはもちろんだが、それ以上に、奈良という土地の雰囲気を感じてみたい。そんな短い期間じゃ無理と突っ込みを入れられそうだけど、分かろうと分かるまいと、それでもただここに居るだけでいい。

 

私は、どこの国へ行っても街歩きが好きだが、ここ奈良でもそうしてみたい。もはや、日本中のやや大きな都市は何処も、リトル東京の相を呈してしまったとはいえ、少なくとも地形は異なる。ほぼ真っ平らな関東平野に育った私としては、いつも山を間近に眺めていられたら良いなとの憧れもある。

 

せっかく奈良にいるのだからと、できるだけ沢山のお寺を訪ねようなどとも考えていない。時には、京都や大阪に足を伸ばしたりもしたいが、実際のところ、まだ何も決めてない。のんびりふんわり、いつものゆるゆる旅になることだけは間違いなしだ。

 

それにしても、願っていたことがこのように叶って嬉しい。全く出来すぎのようだが、来し方を振り返れば、これまで私が漠然と心に描いたことは、何でもほぼ実現している。こうなったらいいなって思い続けるのは大事だ。時宜を得たら、それはきっと叶う。

 

家電量販店の通販サイトと店舗では価格が違うー買い物の下調べは大事だ

リフォーム中はビジネスホテルに滞在ということで、昨日から移ったのだが、荷物を置いてから家電量販店に行ってみた。

朝からいろいろやることがあって、おまけに美容院まで予約していたものだから、夕方には疲れてしまった。もう通販でいいかとなりかけたのだが、予め調べておいた売り場面積の広い店舗までは、都合の良いことにホテルから電車で2駅だ。しかも駅前にある。

購入しようと考えている家電は3点で、サイズ・価格共に手頃なものが、ある家電量販店の通販サイトにあった。しかし、冷蔵庫以外は配送日が指定できない。とりあえず冷蔵庫だけ購入して、他はリフォームが済むタイミングを見計らって注文するしかないかとも思ったが、念のため店舗へ行って相談することにした。

さすが大型店は、小型冷蔵庫の品揃いも豊富だ。通販サイトで当たりをつけた冷蔵庫もあった。だが、同じ店とはいえ、通販と店舗では価格が異なるのか、心づもりよりもかなり高い。案内してくれた店員さんに聞いてみると、値段は同じにしてくれるというのですぐに購入。

配送に関しては、冷蔵庫のような設置製品と他の物では別になるという。小型製品の配送は、宅配業者にお願いしているという。だが、配達希望日は指定できるそうだ。たとえ別々の配送になっても、同じ日に届くのは有り難い。

冷蔵庫の購入手続きが済んだ後に引継ぎということで、別の階のオープンレンジ等がある売り場まで案内してくれた。そのおかげで、結局は、全部まとめて配達して頂ける事になった。そのうえ、通販サイトで配送料無料とうたっている製品のため、配送料もかからない。ついでに言うと、オーブンレンジはセール中ということで、同じ型の物が通販サイトよりも安かった。ラッキー!という感じだ。

買い物が済んでから、やはり店舗まで足を運んだ甲斐があったと安堵する。だが、もし通販サイトで当たりをつけずに店舗を訪れていたら、予算をだいぶオーバーするところであった。値段交渉するという人の話もよく聞くが、そのようなことが不得手な私にはハードルが高い。でも今回は、スマホで画面印刷した写真を見せながら、話を進めることができた。もちろん先方も、自社のサイトを確認しながらだ。

帰りの電車の中で、家電以外の物は既に手配済みだし、これで懸念事項は全て片付いたと嬉しくなった。これまで、服でも何でも衝動買いに近い買い方で、比較検討など考えもしなかった私だが、時には、こうして予め調べるというのも大事だなと思った。

複数の家電量販店の通販サイトに目を通すのはもちろんだが、その情報を元に店舗を訪れるのが一番いい。購入する製品を予め決めておけば、店まで行っても、時間はさほどかからない。また、製品及び設置に関して等、気になることは店員さんに直接質問できるので、安心感もある。なんと言っても、かなりの節約になるので、行っただけの価値はあるはずだ。近々購入予定のある方は、このような方法もぜひどうぞ。

 

 

私がイヌワシならゴールデンイーグルと呼ばれたい

昨日の朝のラジオで、バードカービング作家の鈴木勉さんがイヌワシについて話されていた。その生態に、面白いと耳を傾けているうちに、話が名前の由来に及んだ。何とイヌワシのイヌには、やや劣るという意味合いがあるそうだ。植物でも、イヌツゲのようにイヌを冠した名前があるが、それと同様だという。

これは意外であった。何が劣るのかといえば、それは尾羽の色だという。弓矢の矢に使う羽が、鷹などに比べ、模様がなく単調のため劣るとみられたらしい。羽の色ゆえに日本ではイヌワシと呼ばれる鳥が、英名ではゴールデンイーグルというのも、イメージにだいぶ差が感じられる。

ゴールデンイーグルの方が、両方の羽を広げたら2メートルにもなるという鳥の名に相応しい気がする。もし、私がこの鳥だったら、イヌワシよりは、やはりゴールデンイーグルと呼ばれたい。高い木の天辺から、辺りを睥睨している姿を想像すると、ずいぶんカッコ良いではないか。

ところで、人間から自分がどんな名で呼ばれているかなどとは知る由もないイヌワシは、今日もせっせと雛に餌を運んでいるかな。雛が巣立つまでに時間がかかるイヌワシは、ちょうど今頃からが子育ての時期だという。昨今、さまざまな要因からその数が減少しつつあるというが、諸事情を乗り越え、雛よ立派に育てと願う。

 

今のところ私には、必要のない便利さは要らないと分かった

自宅から 15分ほど歩いたところに、食品に衣類に生活雑貨まで扱っているやや大きめのスーパーマーケットがある。この時期は、新生活を始める人に合わせて、布団から収納ケースや鍋、食器の類も豊富だ。近くには大学もあるのだが、新入生は、ここで全て賄えそうだ。

実際、私も気になる物があった。でも、持って帰るのは大変だろうなと思い、念のため配達について聞いてみた。すると、地域は限定されるものの、200円プラス消費税で配達してくれるという。その区域外への配達も、料金がもう少し高くなるがもちろん可能だ。

購入後3時間以内の配達で、しかも18時まで受け付けているという。ずいぶん素早い対応に、個人商店が主だった遥か昔は、近所の店から配達してもらったものだが、その名残のシステムだなと納得した。多分、これは食品がメインのサービスなのだろう。他にも、食品を主としたスーパーマーケットで、〈午前中のお買い物は午後配達〉という貼り紙を目にしたことがあるのを思い出した。

私の住む辺りにはスーパーマーケットが結構たくさんあって、一番近い店までは徒歩5分だ。そのため、少々重くてもさほど困らず、これまでそのようなサービスを利用したことはなかった。いつも利用している店でも、既にだいぶ前からネットスーパーを開設している。しかし、もともと買い物の量が少ないうえに、何でも自力主義の私には、さほど関心が湧かなかった。当然ながら、何にせよ通販で物を買うという発想もない。

しかし、こうしてみると、便利さからあえて背を向けているかのような私は、よっぽど時代遅れの人間なのかと、自分に可笑しくなってくる。

ともあれ、必要な物を程よく買うというのが、私のやり方だ。そして、物を持つのは運動にもなって良い。だから、お米を持つのが辛くなるまでは、このスタイルでゆこうと考えている。

つまり、今のところ私には、必要のない便利さは要らないと分かった。その底にあるのは、配達料云々ではなく、できる限り人の手を煩わせたくないという思いだ。但し、必要になったら適宜利用させてもらうつもりだ。

 

 

何でもかんでも買ったら直ぐの配達って必要ですか?

リフォームに備え、15年使用した家電類は、この際処分することにした。家電リサイクルセンターに回収依頼していた冷蔵庫は、土曜日の午前中に、業者さんが引き取りに来てくれることになっている。オーブンレンジと掃除機は、来週の月曜日に粗大ゴミとして回収してもらう予定だ。

ではそろそろ、次に購入する製品を決めなければと、昨日外出先から家電量販店に寄ってみた。私が希望する小型の冷蔵庫は、新生活応援と銘打ったコーナーに1種類しかない。今や単身者でも、ある程度の容量を必要とするのかと、展示されている品には関心が湧かないまま、もっと大きな冷蔵庫も見てみた。

大型が主流なのか、そちらは品揃えも豊富だ。だが、私には小型の製品で十分だ。通販サイトには手頃な品があったので、てっきり店舗にもあると思って行ったのだが、そうではなかった。おまけに、価格も想定より高いと、やや気落ちしたまま帰宅した。

やはり、通販にするかと、家電量販店のサイトを眺めていると、「24時間以内に出荷可能」とか、「当日配達便」とか、早さをウリにする言葉が目につく。私は、3週間先の配達でいいというのに、世の中は、買ったらすぐ欲しいという人で溢れているのかと、これまた驚く。

冷蔵庫が壊れたので、急遽購入という事情でもない限り、そんなに急ぐ必要はあるのかと不思議な思いさえする。なんだか社会全体が、高速で動く板の上に乗っているみたいだなあと感じる。そして、買い物ばかりか何事も、計画的に進めれば、もっとゆったりしていられるのではないかと思う。

そんな暇人の寝言聞いてられないよとの言葉が飛んできそうだが、忙しいという中身を、各人が改めて精査してみてはどうだろうか。自分の時間をきちんと管理すれば、急ぐことと、それほどでもないことが見えてくるはずだ。

あらゆる場面で、購買意欲に貢献する?「お急ぎ便」が主流になっている現状や、反面、その問題点が指摘されていること等が私の中で重なって、冷蔵庫を買い換える話のつもりが、思わぬ方向へいってしまった。でも、実際、いろいろと考えさせられることが多い。

ところで、冷蔵庫をはじめ家電類は、まだ時間があるので、今度は、もっと売り場面積の大きな店舗に行ってみるつもりだ。私が買うのは、新社会人や学生が持つような簡素な物ではあるが、一度購入したらかなり長く使うので、やはり自分の目で確かめたい。

 

ビロードのコートから顔をのぞかせる辛夷(コブシ)〜もう春だ!

昨日の朝、どんよりとした曇り空に、この時期の寒さは苦手だなと思いつつ散歩していた。1月・2月は、寒いのが当たり前との気構えもある。だが、3月ともなると、暖かくなるはずと期待が勝ってしまうのか、少し寒いだけでも、殊の外身にしみる。

そうして歩いているうち、辛夷(コブシ)の蕾が目に入った。ビロードのコートのような和毛に包まれ、さぞ温かいだろうと梢を見上げれば、何と天辺の方には、既にコートを脱ぎかけている蕾もある。途端に、春だ!と嬉しくなる。

それなら他にもと、辺りに注意を払いながら歩を進めれば、辛夷ばかりかモクレンも、同様に花開くタイミングを計っている。おまけに道端には、2輪ほどノジスミレが咲いている。タチツボスミレタンポポが、そこここにと溢れるように咲き出すのももうすぐだ。

紅梅に代わって、桃の花の濃いピンクも出番を待っているに違いない。今日は雛の節句。部屋の中では、一足早く、お雛様の横に飾られているかな。頭の中に春のイメージが膨らんでくるにつれ、寒いと縮こまりつつあった私の背中も急にシャンとなる。