照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

「最後の晩餐に何を食べるか」ー私だったら塩むすびが良いな

「最後の晩餐に何を食べるか」、だいぶ前、新聞か雑誌で、著名な人にインタビューした記事を読んだことがあった。もし自分なら何にするか、当時はいろいろ浮かんできて、とても絞りきれないなと思った。でも今なら、塩むすびが良いと断言できる。

先月、奈良に滞在した折、食べ過ぎに疲れが重なって2度ほど胃の不調を招いた。夜中に、自分で至室と呼ばれるツボを押しながら、その日食べた物を思い起こし、何で食べちゃったんだろうと激しく後悔していた。

奈良では、ホテル暮らしのため外食だったのだが、一人前の量が私には多すぎる。食べて美味しいと、もう一口という欲に、残したら悪いなとの思いも重なって、つい無理してでも胃におさめてしまう。その挙句、数時間後にそのツケが回ってくる。

旅先では腹八分目が鉄則なのにと、嘆いてみても後の祭りだ。仕方がないので、翌日からの参考にと、自分の胃に優しい食べ物は何かを考え始める。あれこれ浮かべても、なかなかピタッとくるものがない。(世の中にこれほど食べ物が溢れているというのにまったく)と、とりわけスイーツなどは呪いたい気分にもなった。そんな中でふと、かつてコンビニで買った塩むすびが浮かんだ。

これだこれだ。私が人生最後に食べるとしたら、絶対塩むすびだと思った。「晩餐」というには、かなり見劣り感が強いが、小ぶりの塩むすびをじっくり噛んで飲み込むところを想像すると、至福という言葉が浮かぶ。身体のすみずみまで、しっかりと滋養が行き渡るイメージが湧く。最後だからこそ、このように生命を感じさせる物が良い。

お米にも塩にも、手作りか否かにもこだわりはなく、目の前に用意された塩むすびを、美味しいと思いながら噛み締めることができら最高で、私にとっての最後の晩餐に相応しいと思った次第。

天平時代の女性に想いを巡らせるー光明皇后の容姿に俄然興味を覚えて

『奈良の都』での、光明皇后についての記述が、私にはとても新鮮であった。『古寺巡礼』(和辻哲郎)では、カラ風呂での光明皇后施浴の伝説及び法華寺の本尊十一面観音のモデルと言われていることについての考察にページを割いている。その文章からの印象か、何となく、お綺麗な方であったのだろうと思い込んでいた。

だが、"「光明子の人となり」"には、

"聖武天皇の人柄については一言もふれていない『続日本紀』も、光明皇后については、「幼にして聡慧(そうけい)、早(つと)に声誉(せいよ)を播(ほどこ)せり」とか、・・・、あるいは「仁慈にして、志、物を救うにあり」と記している。聡慧、つまり頭がいいとはいっているが、美人だとは一言もいっていない。美人だったという伝説は、法華寺に縁が深く、じじつ美人だった嵯峨天皇の妻の檀林皇后と混同されて生まれたのだろう。法華寺の十一面観音像も檀林皇后と同時代の作品である。"(『日本の歴史3 ー奈良の都』(青木和夫・中公文庫・1973年・P・325)

とあるではないか。本の中で、この時代の他の女性に対しては容姿について言及していないのに、光明皇后に関しては、"美人だとは一言もいっていない"と強調している。

アララ、そうだったのという感じだ。もっとも、当時の美人像を思い浮かべるたび、現代に生きる私の感覚からすれば、美の基準にかなり疑問が残る。だから、美人かそうでないかは大差ないような気もする。

だが、当時のように、1日2食、しかも、量も十分ではない粗末な食事では、全般的に男女共に痩せていたに違いない。そんな中で、ふっくらとしているというのは、やはり美の要素だったのかもしれない。身体に栄養がいき渡っていれば、鳥毛立女屏風に描かれた女性のように、髪も(多分)黒々として豊かなはずだ。

しかし、実際、光明皇后はどのようであったのか。"天平の時代の代表的婦人の肖像を持たないことはわれわれの不幸である。そのためにわれわれは天平の女に対して極端に同情のない観察と著しく理想化の加わった観察との間を彷徨しなければならぬ。"(『古寺巡礼』・青空文庫版より)

まさにこの言葉通り、頭の中であれこれその姿を思い巡らせてしまう。私の場合、"極端に同情のない観察"よりは、"聡慧"からの連想で、知的な美しさを感じさせる方であったかもしれないと、やや"理想化の加わった観察"へと傾く。

そして、これまでさほど関心が向かなかった当時の女性の容姿についても、俄然興味が湧いてくる。タイムマシンで、奈良にひとっ飛びできたら面白いのに。でも、物凄くびっくりするだろうな。やはり、空想しているくらいが楽しいのかもしれない。

 

女官の目を引こうと制服の袖や裾に工夫を凝らした奈良時代の貴族たち

『日本の歴史3 ー奈良の都』(青木和夫・中公文庫・1973年)は、500ページ以上にもわたるが、面白くて非常に読み応えがある。但し、いくら面白いとはいえ、小説のようにサクサクとはいかない。読み進めているうちに、頭がとても草臥れてしまうので、時々休まざるを得ない。数日かけて、何とか完読したところだ。

しかし、奈良時代とはどのような時代であったか、全てが網羅された映像でも見ているように、眼前に浮かび上がってくる。国の仕組み、税や法および刑罰についてもよく分かる。また、身分が上の者から下の者まで、当時の人々の衣食住を含めた暮らしぶりがなかなか興味深い。

ちなみに、「貴族の生活」の章には、昔も今も考えることは同じだと、ちょっと微笑ましく思える箇所もある。

"貴族の場合は、結婚が政略に役立つので、正妻は親が選ぶ。・・・思い思いの娘のところにも通う。宮中で探すこともあろうし、・・・。"

貴族たちは、宮中で目指す女官に注目してもらおうと、

"朝廷での服装は、それぞれ位階に応じて朝服というのがきめられているのであるが、それを自分なりにすこし変えてみる。七一二年(和銅五)の暮れには、それが目にあまったとみえ、次のような勅がでた。

「諸司の官人衣服のソデを狭くしたり、裾を長くしたりする者がある。また、エリが浅すぎて歩く時に開くのもある。それらはもってのほかであるから厳重に禁止する。また無位の者の制服のスソ(裾)は一尺二寸以下とする。」(「貴族の結婚」・P・173〜5)*カタカナ部分は昔の字のためカタカナに変えて引用

制服の裾幅を細かく規制している辺りは、私が高校生だった頃を思い出させる。今でも、制服については、厳しく校則に定められているのだろうか。

それはさておき、奈良時代の貴族たちが、どうやったら女性にアピールできるか、苦心している様子を想像するだけで、いつの世も同じだと笑えてくる。

ただ、"『魏志倭人伝』の昔から、「大人はみな、四、五婦、下戸もあるいは二、三婦」といわれていた国がらである。中国人は、倭国にはきっと女性が多いのだろうと、うらやましがってさえいた。"(P・173〜4)とあるように、複数の妻を持つのが普通の時代であった。とはいえ、現代の私からすれば、妻が一人いれば、もうオシャレに浮身をやつさずともいいではないかとも思える。

お書きになられたのは、歴史学者の方だが、このようにクスリとする部分もあって、教科書的つまらなさは少しもない。だが、大半は、私がここにかいつまんでご紹介できるほど簡単な内容ではないので、ご興味が湧いたら、実際手に取って、ご自分で確認して頂くよりない。

ともかく、当時、歴史の舞台に登場した人物たちの人間推察にも優れていて、まるで時代絵巻の如く個々人が浮かび上がってくる。古い時代の書物を読み解き、その中から取り上げたエピソードに、ユーモア感覚も窺える。分厚い本を手に、読むぞ!と気合いを入れた甲斐があると満足すること間違いなしだ。

 

心が疲れた時は好きな音楽を流してボーッとする

身体はまったく正直だ。自分では、ほんのちょっと気掛かりくらいに思っていた事が、翌朝唇の端にヘルペスができていて、実は、頭で感じる以上にストレスになっていたと分かる。私の場合、免疫力の低下を招くのはほぼストレスによる。

こんなことは何でもないんだと、自分の気持ちを宥められたと思っていたけれど、ちゃんと身体に出る。そんな些細な積み重ねを見過ごしていると、容量一杯になったある時点で、溢れ出てしまうんだろうなと思う。慌てて掻い出したからといって、多少の隙間ができたくらいでは、ひとたび堰を切ったように流れ出した諸々は落ち着くものではない。

そうなる前に、身体がいつもとは少し違うと感じたなら、自分の感情に向き合ってみるしかない。但し、心を深掘りしたり、むやみに自分を可哀想がったりはしない。ただ、(疲れたんだね)と自分を労り、好きな飲み物を用意して、好きな音楽を流して、しばらく何も考えずにボーッとする。眠くなったら寝てしまえばいい。

やがて心が回復すると、身体もだいぶ元気になって、気持ちもグンと上向く。すると今度は、無理に気持ちを抑え込まなくても自然と、(こんなこと、まあいいか)と思えてくる。いっときはキュッと心を狭めていた事が、まったく大したことではなかったとよく分かる。

そこまで行ったら、もう大丈夫だ。人には、適度なストレスも必要と言うしねと、ストレスさえも軽く扱えるようになる。だいたい私は、いつだってこの繰り返しだ。「杞憂」の由来そのままに、今すぐにでも天が崩れ落ちてきたらどうしよう的に、いささか大袈裟に心を痛めては、(何てことないや)と、瞬く間にケロリとしている。

でも、そんな能天気な私でも、身体が反応した時はやはり気をつける。匙加減がポイントながら、自分を甘やかしてみる。しかし、息抜きは必要だが、もちろん息抜きばっかりでもダメで、そんな時にもちゃんと身体が信号を送ってくる。人間は、ややこしい。それでも、なんとかバランスを取りながらやるよりしょうがないね。

とまあ、纏まらないままにお終い。このくらいのテキトーさが、気楽に生きられる秘訣かもしれない。

グルメインコによる「桜の蜜ランキング」なんてあったら愉快だな

もう桜の話題はいいかなと思っていたら、何と桜の枝にインコを見つけた。地面に、次々と桜の花が丸ごと落ちてくるので何だろうと見上げれば、インコが萼(がく)の辺りから花を千切っている。

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私と一緒に見ていた方が、「向こうの桜の木の下にも花がたくさん落ちていたんですけど、インコがやっていたんですね」と仰る。

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そういえば少し前、豪徳寺周辺を散歩している時、5、6羽のインコが、敷地内の大きな木から木へ飛び移ったり、辺りを旋回していたことを思い出した。私が見上げている門前の桜の木には一羽だけだが、この日は別行動なのかもしれない。

ところで、忙しなく嘴を動かすインコだが、蜜を吸っているようにも見えない。ただ遊んでいるにしては、ずいぶん熱心だ。だいたいが、野生化しているインコが、〈花を散らすのが面白くて〉などと、無用な事をするのだろうか。

しばらく眺めていたが、見物人などに構っていられないとばかりに、嘴を休めることもなくひたすら花をポキポキやっている。あたかも、収穫期の刈り取り、もしくは摘み取りを思わせる仕事ぶりだ。

次に、豪徳寺境内の桜へと目をやると、そこでは数羽のヒヨドリが盛んに蜜を吸っている。花を落とすことなく、順番に隣の花へと嘴を入れてゆく。インコのやり方とはだいぶ違う。やはり遊んでいるのだろうかと、また門前まで戻ってみると、先ほどのインコはまだ同じ枝にいた。

改めてじっくり観察していると、ポキッと萼を折ってから、花を落とすまで僅かに間がある。花は丸ごと落ちているので、花びらを食べているわけではない。となると、素早すぎて私にはよく見えないが、蜜を吸っているのかなと思えてくる。

ヒヨドリだって、ある程度蜜を吸ったら枝に止まって一休みするのに、インコは5分どころか10分近くも同じ枝にいる。それを飽きずに眺めている私も、相当暇人だ。そろそろ行くかと思った矢先、インコが枝を離れて飛んで行ってしまった。

私も歩きだす。と、少し離れた所に同じように萼ごと落ちている桜の花があって、これもインコの仕業かなと思う。だが、どうして寺境内にある大きな桜の木ではなく、それに比べればだいぶささやかに思える木ばかりなのだろうと、新たな疑問が湧いてくる。

単に、縄張りの関係なのかな。それとも、桜の木の場所によって、蜜の味が変わるなんてこともあるのだろうか。もしかして、蜜はデザートに分類されるのかもしれない。美食家のインコが、「インコの桜の蜜ランキング」なんて出して、この時期ベストセラーになっているかも、なあ〜んてね。お終い。

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豪徳寺 山門付近の桜

 

 

文字通りに百花繚乱ー眺めているだけで気持ちも華やぐ

昨日、一昨日と、ここ2日ばかり気温が高かったので、足踏みしていた桜もようやく咲きそろった感がある。私も、用事ついでに目黒川の桜並木を眺めてきた。

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目黒川の桜並木 (池尻大橋より)

平日ながら、陽気に誘われて人出も多い。仕事途中に折良く通りかかったスーツ姿の男性たちも、満開の桜をスマホに収めている。

今年の桜は、何だかくすんだ印象があったが、これだけ揃うとさすがに艶やかだ。あたかも、〈私たちの底力ご覧なさい〉と目で物言う大女優の如しだ。私は、恐れ入りながら桜から離れる。

再び幹線道路に戻る。するとこちらでも、イチョウやトウカエデといった街路樹の間に、交互に植えられているライラックとカイドウ(海棠)が、競うように咲いている。どちらも好きな花なので、嬉しい。

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ライラック 街路樹

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ライラック 街路樹

ライラックの小花に鼻を近づけると、とってもいい香りがする。高校生の頃、紫丁香花(ムラサキハシドイ)という和名に惹かれて、この花の苗木を買ったことがある。でも、後になって花がさくと白かった。これは、(多分だが)日本原産のハシドイで、かなりがっかりしたのを覚えている。

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海棠(カイドウ) 街路樹

ところで、鎌倉の光則寺にはとても見事な海棠がある。街路樹の海棠が、大きな木に育つまでにはどれくらいかかるのだろうか。それとも、根を伸ばす余地がなくて、ずっと細い木のままなのかな。実際、既に10年以上見ていると思うが、木の大きさはちっとも変わっていない気がする。

それはさておき、他にも、道沿いで繰り広げられる花々の競演に、これはまさしく百花繚乱だなと、ただ眺めるだけの私まで、気持ちが華やいでくる。

 

Good Luck! アオサギ君orアオサギ嬢ー水辺のない住宅地でアオサギに遭遇

昨日は、朝から穏やかな日であった。散歩日和と歩き始めるとすぐに、近所のお宅の屋根の上に止まっている大きな鳥に気づいた。アオサギだ。こんな住宅地に珍しいと、慌ててスマホを取り出すと、スイッと飛び立ってしまった。でも、一段高いお隣の屋根に移っただけであった。

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桃の枝先辺りに見えるのがアオサギ

少し遠いけどまあ良いかとシャッターを押していると、後ろから、「撮れましたか」と声がかかる。振り返ると、犬を連れたおじいさんと若い男性が立っていた。私が、ずっと屋根の方を見上げて写真を撮っていたので、アオサギに気づいたようだ。横の若人は、多分通りがかりの方で、おじいさんに鳥の存在を教えられ一緒に見ていた模様だ。

「ちょっと遠いですね。上手く写るかどうか」と答えるとおじいさんは、「きっと写真撮ってもらいたいと思っているんですよ」と仰る。そう言われれば確かに、身動きもせずにじっとこちらの方を見ている。

続けて私が、「こんなところにアオサギは珍しいですね」と付け加えるとおじいさんは、「迷い込んでしまったのかな」と。更に道行く人が二人ほど加わって、皆でアオサギを見上げていた。が、再び羽ばたいたかと思うと、最初にいた屋根の方へ移ってきた。まるで、写真が撮りやすいように近くへ来てくれたみたいだ。

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右側 羽ばたいているアオサギ

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屋根の上のアオサギ

やがて、私ともう一人の通行人が写真を撮り終えるのを見計らったかのように、大きく羽ばたいて去っていった。

今年はアオサギに縁があるのかなと、先月、奈良・桜井の聖林寺を訪ねた帰りにも、バス停の側の小川でこの鳥に出合ったことを思い出した。あの時も、私の頭上を大きく一回りすると飛んでいってしまった。

私が住む辺りには結構敷地の広いお宅もあったのだが、この15年程でほとんどが細分化されて、池どころか庭のあるお宅も珍しくなった。川も暗渠になって、上は緑道として整備されている。

アオサギがエサを探すには、神社の池か、特別保護区として残されたかつてのお屋敷跡にある池、もしくは、少し離れた砧公園まで行かないと無理だろう。もうひと頑張りすれば、確か調布・深大寺近辺には田圃もあったはず。

もしくは緑道でも、再処理した水を利用してせせらぎにしている箇所もあって、以前、シラサギが小魚を取っているのを見たこともある。緑道の終点から目黒川へ流れ込んでいる辺りでも、シラサギがエサを探しているのを遠目に眺めたことがある。

というように、アオサギが飛んでいってから、いろいろエサ場となりそうな所を思いついたが、時すでに遅し。もっとも、アオサギが側にいたところで、私がそのことを伝える方法もないのだ。まあ、私などが心配せずとも、飛びながら上から探しているだろう。

 Good Luck! アオサギ君orアオサギ嬢