照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

こんな愉快な絵からワラジ?までー国立考古学博物館(マドリッド)

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 石に描かれた絵 見ているだけでこちらも笑顔になる

 

国立考古学博物館にはこんな楽しい絵があった。アルタミラ洞窟のリアルな牛の絵に比べ、これは何とも素朴で子どもが描いた絵みたいだ。わざわざ石に彫っているところから察すると、ただの落書きとも思えない。何か、特別な意味でもあるのだろうか。いつの時代でどの地域から出たのか等、メモしてこなかったのが悔やまれる。(ちなみに、時代が進むにつれ、彫刻でも何でも精巧になってくるので面白味が薄れてくる。)

 

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 日本のワラジによく似ている 奥は蔓製の小カゴ

 

これはびっくり、ワラジみたいだ。但し、デザインが日本の物とは多少違って、サンダルの原型に近いようだ。その奥には、蔓(?)で編んだごく小さなカゴもあるが、これでは木の実入れにしてもちょっとしか入らず、実用的ではない気がする。どうせなら、もっと大きい方がいっぱい入るのにと、現代に住む私は疑問に思う。まさか、子ども用ではないでしょうね。

 

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中央がポシェット?かな 右側に蔓製小カゴ

 

原型からだいぶ崩れてしまっているが、これは現代にも通じるポシェットではないか。網目が荒いので、木の実というよりは、お財布やハンカチなど入れていたのかな。まさか、そんなわけないね。

 

でも、『ギャートルズ』のお母さんみたいな女性たちが、今日はちょっと会合だからと、それぞれが編み方やデザインに趣向を凝らしたポシェットなど持ってお出かけする図を想像したら楽しくなってくる。(*『ギャートルズ』は、原始時代の人々の日常を描いた園山俊二ギャグマンガ)

 

ところで、石の矢じりやナイフに針などみていると、究極の物の無い時代、どうしたら暮らしに便利な物を作り出せるか、その知恵の絞り方は世界どこでも共通しているのだなと妙に感心する。磨きが足らないなどと呟きつつ、狩の合間にはせっせと道具の手入れなどしていたのだろうか。

 

地上階から回り始めてすぐに、先史時代の興味ある展示物の数々にいちいち足が止まってしまう。おまけにこんな調子で、遥か昔の人々に思いを馳せているものだから尚更歩みが遅くなる。

 

デスカルサス・レアレス修道院から真っ直ぐここに来たのだが、実はこの後で、もう一ヶ所美術館(ラサロ・ガルディアーノ美術館)へ行く心づもりにしていた。でも、順を追って2階(日本での3階)までじっくりと巡っているうちに、すっかりくたびれてしまった。

 

結局、併設のカフェで昼食を摂りがてら休憩することにした。一度休むと足がジンジンしてきて、もう絵を見て歩くのは無理と判断。美術館内を回るのは、案外体力仕事だ。無理はしないに限る。予定は一応の目安、体調に合わせてゆるいくらいで丁度良い。

 

というわけで、マドリッド2日目(5/13)の観光終了。そしてこの後は、火曜日(5/16)のメリダ行きの切符を買いに国鉄トーチャ駅へ行ったのだが、何と激混みで、整理券を取ってから購入まで1時間以上かかった。やはり、予定を切り上げて丁度良かったのかもしれない。駅で待つ間、運良く椅子に座れたが、立ちっぱなしだったら大変なところであったと安堵する。