照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

『ノルウェイの森』の背景となった時代を懐かしく振り返る

非常に遅ればせながら『ノルウェイの森』(村上春樹講談社文庫・2004年)を読みはじめて、何だこの軽やかさはと、次いで面白いじゃないかと驚いた。

繰り返される性に関わる描写は、単なる記号だが煩すぎてやや辟易するし、登場人物にも共感し難い部分が多いが、物語からは背景となった時代が色濃く立ち昇ってくる。私は僅かに遅れるが、それでも当時の雰囲気が懐かしく思い出される。

数年前『1Q84』を会社の人から借りて読んだのだが、その人と村上春樹がどうにも結びつかなかった。すると、「俺の世代だから」。今回『ノルウェイの森』を読んで、その気持ちが何となく解った気になった。同世代の作家が、その時代時代を、どう捉えていたかに目が向くのだと思う。

僕(ワタナベ)が、直子を療養施設に見舞って一緒に山登りした折、牧場のそばの夏場だけ開いている小さなコーヒーハウスで休憩して、FM放送に耳を傾ける場面(上巻・P・284〜285)がある。

"ブラッド・スエット・アンド・ティアーズが「スピニング・ホイール」を唄っているのが聴こえ・・・
クリームの「ホワイト・ルーム」がかかり、コマーシャルがあって、それからサイモン・アンド・ガーファンクルの「スカボロー・フェア」がかった。"

この映画を観たという僕に、誰が出ているかと聞いたレイコさんは、ダスティン・ホフマン

"「その人知らないわね」とレイコさんは哀しそうに首を振った。「世界はどんどん変わっていくのよ、私の知らないうちに」"

続いて会話に出てくる『サウンド・オブ・ミュージック』のワンシーンとか、ビートルズの「ヒア・カムズ・ザ・サン」とか、もう懐かしさ満載だ。

でも、物語の中のレイコさんは『卒業』を観ていないのだと、7年も療養所にいる設定なら当たり前だが、私はちょっとビックリする。

緑のセリフにも時代を感じる。(下巻・P・65〜67)

ただ歌いたいだけで、大学で"フォークの関係のクラブ"に入った緑は、"ひどいインチキな奴ら"にまずマルクスを読まされ"、"フォーク・ソングとは社会とラディカルにかかりあわねばならぬものであって・・・"との演説を聞かされる。読んでもわからなかったと言った途端、問題意識がないとか社会性に欠けるとか、まるで馬鹿扱いされてしまう。

そして、難しそうな顔で、偉そうな言葉をふりまわしていても、四年生になったらさっさと就職活動に勤しむ輩に、腹の底から憤りを覚え、一方では、解ったフリしてヘラヘラしている新入生に対しても不信感いっぱいの緑だ。

そういえばフォーク・ソングの歌詞は、社会に向けたメッセージ性の強いものから、愛だの恋だのとこじんまりした個人の世界へと変わっていった。本を読みながらあの頃を振り返っていると、時代は、青い空にぽっかり浮かぶ雲が、ただ形や色を変えただけであったかのように、まるで何事もなかったように流れてしまったのだなと思う。

でも、やはりそれだけでは済まされなくて、次第にそのツケを払わされているようで、どんよりとして重苦しくなってゆく。"「世界はどんどん変わっていくのよ」"というレイコさんの言葉ではないが、それは更に重さと暗さを増して今日に至っている。

ところで、猥雑さを武器にしている緑は、将来あの社会学者のようになるのか?