照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

藤布の着物を大切に着ていた140年前を想う

イザベラ・バードの旅『日本奥地紀行』を読む』(宮本常一著・講談社学術文庫)を読み、明治時代、地方に住む人々は、たった一枚の着物を大事に着ていたということを知り、かなりの衝撃を受けた。

これは、イギリスの女性旅行家及び紀行作家であったイザベラ・バードが、明治11年当時の東北地方を旅した折の見聞録を、宮本常一が解説している。イザベラ・バードが、日本人の着物の汚さに言及している箇所で、その理由を宮本常一は、傷むのを防ぐため洗わなかったからだという。それでも、年に一枚は気潰していたらしい。

新しく着物を作るとなると、山から藤を取ってきて、その繊維から布を織らねばならず、これには相当な手間がかかったそうだ。しかも家族分となると、大変な時間を要したらしい。そのため、着物を何枚も持つわけにもいかなかった。だから 、たとえボロになっても、布として活用し続けたのだと分かる。

江戸時代、木綿の普及につれて庶民の着物は麻から木綿に変わったが、地域によっては、明治に入っても自給の藤布ということに驚く。140年前のことだ。都市部では、洋服なども登場し始めていたというのに、農村部とはずいぶん差があったのだと、これまた灌漑深い。

私は、国内外を問わず、博物館などで衣類の変遷を見るのは結構好きだが、展示されている大半は、手の込んだ刺繍が施してある豪華な物が主流だ。庶民がどんな物を身にまとっていたのか、貫頭衣から始まって、衣服の歴史をもう一度追ってみたい。

ところで、日本奥地紀行には、他にも着ることについての興味深い記述がある。着物を大切にするため、家の中では脱いで上半身裸でいることへの解説などに、そういうことかとこれまた納得。とても面白い本だ。

天王寺動物園の「奇跡のニワトリ」って?

"天王寺動物園「奇跡のニワトリ」4度目の大ピンチ"(日刊スポーツ・2/25付web版)という見出しが目に入った。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170225-01783456-nksports-ent

記事によると、
" 1歳6ヶ月になる雄のニワトリ「マサヒロ」君は、もともとは肉食動物用の生き餌になるはずだったが、幸運が重なってピンチを3度も乗り越えて生き延びた"という。

写真の「マサヒロ」君は、ピンチをかいくぐってきただけあってなかなか凛々しい。といっても、本人は自分に起きた奇跡を自覚しているとも思えない。もしインタビューを受けたとしたら、(奇跡といわれても・・・別に。ただ生きちゃったんだよ)と淡々と答えたかな。

ところで、記事からその奇跡を引用(要約)させて頂くと、

先ずは第1の奇跡。
"アライグマなどの生き餌として、15年7月動物園にやってきた70羽のヒヨコのうちの1羽であった。そしてたまたま同じ頃、マガモのヒナが人工ふ化で生まれた。子ガモは、1羽だと怖がって餌を食べようとしない。だが、ヒヨコを一緒にするとまねして食べるようになるため、マサヒロ君は“先生役”に選ばれ難を逃れた"

2度目の奇跡。
"同年9月頃、鳥の楽園に出没するイタチを捕獲するためおとりのエサに抜てきされた。大きいネズミ捕りの中で三日三晩じっと待つも、なぜかその間、イタチが現れなかった"

3度目の奇跡。
"通常は、若鶏へ成長する過程で大型の肉食獣のエサとなる。ライオンやトラなどの肉食獣が体調を崩すと、締めたての『新鮮な鶏肉』を与える。たいがいは調子が悪くなるのだが、偶然申し出がなかった。"

というわけで、3度も生き延びた「マサヒロ」君に訪れた4度目のピンチというのが、飼育員の尾曽芳之さんによると、

"「目下の「強敵」は鳥インフルエンザです。これまでは鳥類と同じようにバードゲージ「鳥の楽園」で飼育されていましたが、鳥インフルエンザの流行を受け、ゾウ舎に緊急避難中です。もし近隣で鳥インフルエンザが出たらマサヒロは処分対象になるでしょう。園内で出たら即処分の可能性が高い。」ニワトリなので、飼育する他の鳥とは違い、家畜への法律が適用される可能性が高い"という。

餌としてやってきた1羽のヒヨコが、「奇跡のニワトリ」と呼ばれるようになるなんて、まさに鳥に鳥生(人生のもじり)有りだ。近隣で鳥インフルエンザが発生しないで、「マサヒロ」君が鳥生を全うできるといいな。

近々関西へ行くので、天王寺動物園へも寄ってみようかな。「会うと幸せになる」はさておき、単純にニワトリのマサヒロ君を見てみたいと興味が湧く。

 

身も心も大満足のマダムサミット〜横浜にてランチ

昨日は、"マダムサミット"であった。といっても、何か難しいテーマを皆で議論するわけではない。かつて同じ職場で働いた6人が集って、美味しい食事とおしゃべりに楽しいひと時を過ごす会だ。

JR石川町の駅で待ち合わせてから、チャーミングセール開催中の元町を抜けてイタリアンのお店へ伺った。今回セッティングしてくれた人の知り合いのお店だ。おかげで、広い店内はほぼ満席状態であったが、彼女の二人のお孫さんを入れての総勢8名は、個室に案内されゆったりと過ごせた。

おまけに、彼女のご主人からワインの差し入れもあって、なかなかゴージャスな食事会であった。かつてキャピキャピの乙女だった私たちも、その頃の面影はすっかり影を潜め、大半が孫を持つ身。初参加の可愛いお孫さんたちは、ちょうど私たちのおしゃべりのアクセントにもなって、より会話が弾んだ。

皆、それぞれ自分の人生に充足しているせいか、見栄も気取りも全く不要で、いつも不思議なほど寛げる集まりになっている。その上、彼女たちの前向きで生き生きとした姿に触発され、こちらも更に元気が湧いてくる。

ところで、店内の壁にある絵はすべてこの店のオーナーの手になるものと友人から聞いてびっくり!私たちの部屋に掛かっていたのはミラノのドゥオモで、とても素敵な絵だ。

ほどなく挨拶に来てくださったオーナーの方から話を伺っていると、近くのギャラリーで折良く個展をなさっているとのこと。また、絵ばかりか写真も撮られるということで、そのカレンダーまで頂いてしまった。ランチの後、ギャラリーに寄ってから、身も心も大満足で帰途に着く。まことに良い日であった。皆さん有難う。

 

プレミアムフライデーに思う

昨日は、初めてのプレミアムフライデー。もし私が現役だったら、通常より2時間早く帰れるのは単純に嬉しい。しかし、どのくらいの職場で実施されたのだろう。また、この時間がどのように利用されたのかが気になるところだ。

ラジオでは、旅行などもいいと提案していたが、これは、その気になれば通常の金曜日でもできることだ。私も、しばしば職場から羽田に直行し、最終便を利用していた。それだと、ホテルに着くのが10時過ぎになってしまう。でも、プレミアムフライデーによりそれが2時間早まるなら、現地でゆとりをもって食事することもできるというのがメリットか。

夕方のラジオでは、サラリーマンの皆さんが、この時間をどう過ごしているのか、日本橋と新橋での様子を報告していた。

それによると、午後3時開店の居酒屋さんなどはほぼ満席という。一瞬、エッという感じであった。確かに、消費を促すという目的には合致しているのだろうが、仕事の後飲みに行くって、いつもの金曜日と変わらないんじゃないか。それとも、多少、使う金額が増えるのかな。だが、もう一つの目的である働き方を考えるには、どこで結びつくのという疑問も残る。

しかし、月に一度だけ2時間早く帰れるからって、このオマケのような時間では継続して何かするというわけにもいかず、実のところ活かすのが難しいだろう。やはり、早く帰れてラッキー、映画でも観にいくかといったところかもしれない。

それにしても、昨年からポコポコ出てきた、長時間労働の抑制とか、会社員の副業容認とか、そしてこの度のプレミアムフライデーに至るまで、この一連の流れの底には、何か社会保障制度の大きな改革という目的でもあるのかなと考えさせられる。その手馴しの第一歩が、プレミアムフライデーかもしれない。

だからどうなんだと言われても、まだ説明できるほどの明確な図は浮かんでこないのだが、せめて、アレレこんなはずじゃなかったにならないように、働き方を含め、自分の身の処し方は、常に意識しておきたいなと思う。この先、会社にも国にも頼れる時代ではないことだけは確かなようだ。

ウドリアって?〜九州では今月中なら食べられるそうだ

昨日の朝、いつものように5時からラジオを聞いていると、その日のご当地便りは長崎からであった。"ウドリア"という料理の紹介で、女子高生たちが考案したものだという。

これは、"ライスの代わりに五島うどん、あごだしの隠し味にホワイトソース、パン粉の代わりとして皿うどん麺を使用。熊本地震の被災地応援も兼ねて熊本産トマトを輪切りにして載せ、彩りを添えた。"ものという。

そして、熊本のトマト農家さんが、地震の後も、消費者に美味しいトマトを届けたと頑張っていることを知り、実際に益城町を訪れたそうだ。全壊した家から避難所に移るも、一時は人が溢れていたため、ビニールハウスで寝泊まりしながらのトマト栽培ということを聞き、彼女たちは、この生産者の熱き思いも伝えたいと、プレゼンに臨んだという。

その甲斐あって大会では、ご当地の食材の活かし方と共にプレゼンが素晴らしかったということで、見事準優勝を獲得したそうだ。ちなみにこの"ウドリア"は、コンビニ大手ファミリーマートが商品化、2月7日から九州限定で発売されていて、販売は今月いっぱいまでだという。

メニュー考案までは良くあることだと思うが、トマトを選ぶ段階で生産者のことを知り、ぜひ会ってみたいと即行動するこの女子高生3人組に、凄いなと感心させられる。そして、トマト農家さんの思いを自分たちが皆に伝えねばという意気込みが、準優勝という結果に結びついたのだろう。

ラジオで又聞きしているだけの私にまで、その熱意が伝わってちょっとジーンとする。そして、ウドリアはもちろん、そのトマトも食べてみたい思いに駆られる。でも、九州限定発売、しかも今月で終了では機会はない。せめてスーパーへ行ったら、熊本・益城町産のトマトを探してみよう。

普通に使っていた言葉が実は間違いだったと知ってびっくりー"実例集"が面白い

現代ビジネス・デジタル版(2/2付)の記事、
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170221-00050992-gendaibiz-bus_all&p=1
"今まで当たり前に使っていた言葉が、実は間違いだった・・・爆笑実例集"が面白い。

まずは、都内在住50代男性の例を引用させて頂く。

"「今年こそスマホデビューしようと、携帯電話ショップを訪ねたんです。昨年、新機種が出たばかりだから、古いモデルは安くなっているだろうと思って。ところが『ケンカバン売ってますか』と訊いても店員はぽかーん。

 『ケンカ?』

 『ケンカです』


 『あのう、そういった行為はほかのお客様にご迷惑ですので……』」"

この会話の続きが気になるところだが、そこまでの記述はない。しかし、両者ともにどの辺りで、ケンカではなくレンカ(廉価)と気づいたのだろう。客側も、通じないことが不思議で更に必死になって説明したのかな。店員さんにすれば、いきなり"ケンカ"だなんて、変な客だったらどうしようと内心ドキドキしていたかもと、想像を巡らしてしまう。

ところで、次のような例に、

"文字面や響きから、意味を勘ぐりすぎてしまう場合もある。倉庫会社の営業マン(30代)はこんな思い込みをしていた。
「不動産業務にも携わっているので、いろいろなビルに営業に行きます。すると、どのビルにも玄関付近に『定礎』と刻まれた石碑が置かれている。あのビルも、このビルも定礎のビル。東京中のビルを定礎という会社が持っている!  このことを発見した時は、戦慄を覚えました」"

まさかそんなと思ったが、そういえば数十年前、上京して間もない知人が、月極駐車場の看板が至る所にあるのを見て、月極さんって凄いお金持ちなんだと驚いたと言ったのを思い出した。聞きながらその場にいた全員が笑ってしまったが、意味が分からなければ、名前と勘違いすることもあるかもしれない。

"爆笑実例集"の最初からして、まるでコントみたいだと笑いながら読んでいたら・・・。アレレ!私もやっているよとビックリ。シミレーションをシュミレーションと間違えていた。確かに字を見れば、simulationはシュミレーションとはならないと気づく。

これまで、漢字の読み方などには殊に自信を持っていたものだから、今の今まで、疑いもせずに使っていた自分にがっくりする。それにしても、自分の知識の範囲なんて、案外限られているものだと改めて考えさせられた。自分が知っていることだけが常識の全てなどとは、夢夢思うまいと心に刻む。

 

ガランとした部屋で改めて自分に必要な物ひいては自分の生き方に思いを致す

第一陣の粗大ゴミを出し、ほとんどの荷物をクローゼットに収めると、部屋がガランとなった。まだ2週間弱ここで過ごすのに、少々気が早すぎたかなとも思ったが、自分にとって必要な物、ひいては自分の生き方について改めて考えるいい機会でもある。

そして、初めて一人暮らしした18歳の頃から、これまで住んだ数々の部屋のあれこれを思い返してみた。荷物は、衣類を入れる(多分)塩化ビニール製簡易ロッカーと整理タンスに布団、食器類を入れるガラス戸付きの小さな棚に本箱、コタツに扇風機くらいであった。最初の下宿を出る時、大家さんから譲ってもらった小型冷蔵庫が加わった。

こうして書き出してみると、結構荷物あるんじゃないと思えるが、引っ越しはごく簡単に済む程度の量だ。それが、独りが二人になり、更に三人、四人と家族が増えるに従い、部屋も変わり、箪笥に書棚に食器棚と、家具類もそれぞれが大型になっていった。容れ物に合わせるかのように、衣類も本も食器などの生活用品もどんどん増え、更にスペースを必要とした。

ここへ引っ越す前に住んでいた戸建には、収納スペースもかなりあった。それでも、各自が持ち物を増やすものだから、足らないくらいであった。住んでいた当時は思いもよらなかったが、今になって振り返ると、小さな一軒家に、なんと荷物がぎっしり詰まっていたのだろうとびっくりする。そして、天袋や見えない場所にある物のほとんどが思い出に類する品々、いわば不用品だ。

ここへは、狭い収納スペースに見合った物だけを厳選して持ってきた。アルバムをはじめ、思い出の類は全て処分した。よく、アルバムだけは捨てられないという人もいるが、私には、自分があの世に旅立ったら、残された者が処分するのに困る筆頭という思いがあるので躊躇はなかった。

赤帽さんの軽トラックで、荷台もスカスカ状態で越して来てから15年、次第に増えた荷物を再び大処分して思うのは、もう物は持ちたくないということだ。リフォームが済んでまたここに住むようになったら、相当な不自由を感じるまでしばらくは、たとえ一個のカラーボックスでも買わないでおこうかと考えている。

いちいちクローゼットから取り出すのが面倒になったら、その時買うことにしよう。収納スペースがあればあるほど、または、ちょっと置く場所があればあるほど、物はアメーバの如く増殖してゆく。それと、今クローゼットに入れている物でも、ある期間入れっぱなしにしたら、再度処分ということにする。

物がない部屋にいると、これまで自分が拠って立っていた物がなくなったような、いわば丸裸になったような感覚もあるが、むしろ、衣服や身の回り品、または書籍類といった鎧に、他者から私への判断を委ねないで、私という個で勝負だという思いも湧く。まあ、それほど大した私でもないのに、なに気負っているんだとの声が聞こえそうではあるが。