照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

普段は海賊、時に応じて海軍の一員って?『ローマ亡き後の地中海世界 』

"人間世界を考えれば、残念なことではある。だが、戦争の熱を冷ますのは、平和を求める人の声ではなく、ミもフタもない言い方をすれば、カネの流れが止まったときではないか、と思ったりする。"( 『ローマ亡き後の地中海世界 海賊、そして海軍 4』塩野七生著・新潮文庫・P・266)

 

航行中の船だけでなく、警備の手薄な地域に上陸しては物品略奪ばかりか人も拉致、町を焼き払うなどして、地中海沿岸に住む人々を震え上がらせていた北アフリカの海賊たちが、7世紀から18世紀までの長きに渡って地中海内を荒らし回れたのも、大国トルコ(オスマン・トスコ)の後ろ盾あればこそだったのかと分かれば、この言葉に大きく頷きたくなる。

 

また、少し前にある方がラジオで、ISの攻撃をやめさせるには、サウジアラビアからの資金を断たなければだめとおっしゃっていたが、まさにこれに該当する。そして、彼らが当時の海賊に重なるようにも思えてきてしまう。

 

ところで、海賊と言うと、"日本語には・・・海賊の一語しかない"が、"日本の外では昔から、二種類の海賊が存在した"そうだ。"ピラータは、非公認の海賊であり、コルサロは、公認の海賊"で、"背後には、国家や宗教が控えていた者たちを指す。"(『ローマ亡き後の地中海世界 1』P・3~4)ということだ。

 

つまり、北アフリカを拠点にしていたサラセンの海賊たちも、ひとたび召集がかかれば、トルコ海軍の一員になってしまうのだ。西方に領土拡大を目指すトルコにすれば、常時海軍を維持するよりは、船を操ることに慣れている海賊たちを時に応じて使う方が、はるかに費用負担も少なくて済むというのは利点であった。それにしても、よく考えたものだ。

 

また、海賊にとっても、トルコ海軍総司令官への道が開けているのは魅力であった。そのためにも、海賊業で名をあげることは大事であったから、仕事にますます拍車がかかったというわけだ。だからこそ、組織力、戦術に秀でた者が出てきたのだろうなと思える。

 

おまけに、"彼らの新しい宗教は、異教徒に害を与える行為を正当化していたのである。"(1巻P・32)と、いうのだから、海賊行為は、自分たちの正義を実証することに他ならないとよけいに張り切ったようだ。

 

ちなみに古代ローマには、
"海賊といえばピラータしか存在せず、それゆえ単なる犯罪者として厳罰に処していればよかったのが、「パクス・ロマーナ」時代のローマ帝国であった。"(1巻P・5)という。

 

更に言うとローマは、"帝政に移行する前の紀元前67年に・・・海賊業に関係していた人の全員を内陸部に移住させ、農地を与えて農耕の民に変え"たそうである。(4巻P・307)

 

また北アフリカも、ローマの属州であった頃は、現代からは想像もつかないほど緑豊かな耕作地帯だったという。だがそれも、ローマ滅亡後、住人の大半が他民族と入れ替わるにつれ、やがては海賊業に活路を見いだすしかない地になってしまったのだから、ローマと他民族との統治能力の違いを思わずにはいられない。


とはいえそれも、ローマの興隆から衰退までを通して見ていると、やはり、時代時代に傑出した指導者がいたからこそ可能だったと分かる。

 

"歴史は、個々の人間で変わるものではないと、歴史学者たちは言う。私も、半ば、というのならば賛成だ。だが、残りの半ばならば、変わる可能性はあるのではないか。"(4巻P・287)

 

確かに、この人物がもう少し生きていたらどうなっただろうと過去に想いを馳せる時など、もしかすると、"歴史は、個々の人間で変わる"こともあり得たのではないかと考えてしまうこともある。

 

しかし、ローマが消滅した後の地中海世界を中心に、当時大国と呼ばれた国々の君主たちを見ていると、どれもこれも器量が足らず、これではどう転んでも、個で歴史を変えるのは難しいなと感じさせられる。

 

例えば、各国連合の海賊対策においても、スペイン王カルロス一世の、"ヴェネツィアの利益になるような戦いはするな"と、連合軍総司令官となった自国海軍の傭兵隊長であるジェノヴァ人アンドレア・ドーリアにこっそり厳命しておいたなど、姑息もいいところだ。

 

結局、敗退することになるこの「プレヴェザの海戦」での奇妙な戦いぶりは、各国宮廷でももちきりの話題となったそうだ。一方、このおかげもあってか、勝利した海賊たちはすっかり勢いづいてしまったというのだから、ヴェネツィアが、これ以後スペインを信用しなくなったというのももっともなことだ。

 

だが、海賊を退治しきれないままでは、やがて自国に火の粉が降りかかってくるのだが、当のスペインはそこまでは見通せず、ジブラルタル海峡待ち伏せしていた海賊に、"金銀を主体とする新大陸の物産を満載した船が"、続けてごっそり奪われて初めて慌てる始末だ。

 

フランス王だって、ローマ法王が連合を組むことを呼びかけても、敵対していたスペインが参加するなら自国は非参加とか、もちろんスペインも同様で、フランスが出るならこっちは止めると、後世からすれば、まるで子どもの喧嘩で、まったく大局に立った見方ができないと嘆かわしい思いだ。

 

実際、どちらの領土も海賊に荒らされ、人々も多勢拉致されているのだから、協力を惜しんでいる場合ではないはずだ。但しこれも、現代の私たちは、遥か先の時代の人から同じことを言われかねない気はする。

 

ちなみに、常にフランスと争っていたスペインも、カルロスの息子フェリペ2世が即位して間も無く、

"経済的破綻のために戦争が続けられず、1559年スペインとフランスは、カトー・カンブレージの講和で戦争を終結させた。"(『クワトロ・ラガッツィ 上』若桑みどり著・集英社文庫・P・220)

ということだ。結局、ここでも戦いを終わらせたのは、"カネの流れが止まったとき"に他ならない。

 

それにしても、ただむやみやたらと領土拡大に熱意を傾けることなく、むしろ、いかに帝国を維持するかに着眼、そのシステムを構築しようとしたカエサルのような人物は、稀有であったことを改めて知る。

 

しかし、先々のことまで視野に入れた上でその場の状況を素早く判断、今どうすべきか速やかに決断を下すというのは、相当の力量が問われることだ。現代は、もはやカエサルを以ってしても、個を頼りの舵取りは相当困難ではないかと思える。

 

ところで、海賊たちのその後だが、

"1740年にトルコが「海賊禁止令」に国として調印し、1856年にあらゆる海賊行為の厳禁を宣言した、「パリ宣言」が成立。以後、少なくとも地中海世界からは、海賊は姿を消して今に至っている。"(4巻P・305〜6要約)そうだ。

 

『ローマ亡き後の地中海世界 海賊、そして海軍』は、いろいろな意味で、まことに示唆に富んんだ本であった。